崔邠简介
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崔邠所在朝代:唐代
崔邠(754—815),字处仁,清河武城人。祖佶,父陲,官卑。邠少举进士,又登贤良方正科。贞元中授渭南尉。迁拾遗、补阙。常疏论裴延龄,为时所知。以兵部员外郎知制诰至中书舍人,凡七年。又权知吏部选事。明年,为礼部侍郎,转吏部侍郎,赐以金紫。邠温裕沉密,尤敦清俭。上亦器重之。裴垍将引为相,病难于承答,事竟寝。兄弟同时奉朝请者四人,颇以孝敬怡睦闻。后改太常卿,知吏部尚书铨事。故事,太常卿初上,大阅《四部乐》于署,观者纵焉。邠自私第去帽,亲导母舆,公卿逢者回骑避之,衢路以为荣。居母忧,岁余卒,元和十年三月也,时年六十二。赠吏部尚书,谥曰文简。
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家庭成员
作者:佚名
关于崔邠的父祖,崔郸的墓志称"曾王父综,醴泉县令,赠吏部侍郎。大王父佶,太子中允,赠左仆射。烈考陲,检校吏部郎中兼御史中丞,赠太师。"与《新唐书》卷七二下《宰相世系表二下》记载相同。而《旧唐书·崔邠传》却记载"祖结,父倕,官卑。"《新唐书·崔邠传》称"父倕,三世一爨,当时言治家者推其法。"赵超《新唐书宰相世系表校注》卷二据杜牧《崔郾行状》以及刘禹锡《崔陲神道碑》已证明两唐书《崔邠传》其祖、父名之误。墓志记载再一次证明了这一点。
崔邠的诗词、作品
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