李璆简介
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李璆所在朝代:宋代
李璆,字西美,汴人。登政和进士第,调陈州教授,入为国子博士,出知房州。时既榷官茶,复强民输旧额,贫无所出,被系者数百人,璆至,即日尽释之。宣和三年,廷议将取燕,璆闻之,曰:“百辟卿士,一倡共和,国家安危,其几在是。”上疏切谏,大略谓:“太祖以圣武得天下,将士皆百战之余,以是而取燕云,宜易为力。然赵普辈无敢赞其决者,盖识天下大势,且重民命故也。今承太平之业,父老幸不识兵,虽不得燕云地,何阙于汉。”疏奏不省。及燕既平,责监英州清溪镇。宣和四年,赦还为郎,寻试中书舍人。建言元祐名臣子孙,久被废锢,宜少宽之。宦官谭稹出师河北,以无功废,将复进用,璆不肯书行。会山东盗起,州县不能制,至河北无见粮,军士汹汹。璆条奏十事,忤大臣意,罢。绍兴四年,以集英殿修撰知吉州。江西兵素剽悍,璆始视事,有相挺为乱者,亟捕诛首谋者,抚循其余,大布恩信,境内遂安。累迁徽猷阁直学士、四川安抚制置使。成都旧城多毁圮,璆至,首命修筑。俄水大至,民赖以安。三江有堰,可以下灌眉田百万顷,久废弗修,田莱以荒。璆率部刺史合力修复,竟受其利,眉人感之,绘像祠于堰所。间遭岁饥,民徙,发仓振活,无虑百万家,治蜀之政多可纪。有《清溪集》二十卷。
李璆的诗词、作品
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