赵光逢简介
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赵光逢所在朝代:唐代
京兆奉天人。乾符五年登进士第,释褐凤翔推官,入为监察御史。乾宁三年,从驾幸华州,拜御史中丞,改礼部侍郎。后仕梁,至宰辅,封齐国公。诗八首。
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生平
作者:佚名
赵光逢,字延吉。曾祖植,岭南节度使。祖存约,兴元府推官。父隐,右仆射。光逢与弟光裔,皆以文学德行名。(《旧唐书》:光裔,光启三年进士擢第,累迁司勋郎中、弘文馆学士,改膳部郎中、制诰。季述废立之后,旅游江表以避患,岭南刘隐深礼之,奏为副使,因家岭外。)光逢幼嗜坟典。昭宗幸石门,光逢不从,昭宗遣内养戴权诏赴行在。改礼部侍郎、贡举。光化中,王道浸衰,南北司为党,光逢素惟慎静,虑祸及己,因挂冠伊洛,屏绝交游,凡五六年。门人柳璨登庸,除吏部侍郎、太常卿。《唐摭言》云:光化二年,赵光逢放柳璨及第,后三年不迁,时璨自内庭大拜,光逢始以左丞征入。入梁为中书侍郎、平章事,累转左仆射兼租庸使,上章求退,以太子太保致仕。梁末帝爱其才,征拜司空、平章事。无几以疾辞,授司徒致仕。《唐摭言》云:光逢膺大用,居重地十余岁,七表乞骸,守司空致仕。居二年,复征拜上相。
赵光逢的诗词、作品
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