卷二十·奸淫
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奸淫
贼初入城,先拏娼妓小唱,渐次良家女,子弟脸稍白者,辄为拏去,或哀求还家,贼仍随之,妇女淫污,死者无算。
贼兵初入人家,日借锅爨。少焉,曰借床眠。顷之,曰借汝妻女姊妹作伴。藏匿者,押男子遍搜,不得不止。爱则搂置马上。有一贼挟三四人者,又有身搂一人,而余马挟带二三人者。不从则死,从而不当意者亦死,一人而不堪众嬲者亦死。安福胡同,一夜妇女死者,三百七十余人。降官妻妾,俱不能免。悉怨悔欲逃,难脱走,惟殉难诸臣家眷,贼兵绝不敢犯。
北路凡受伪府县官,遇贼兵过,先搜民间妇女供应,稍或不足,兵即以刀背乱下,伪官苦不可言。美者携去,恶者弃下。仍命本官云,留待后来者用。妇女供役之苦如此。偷生者少,虽死节者,亦不得清洁耳。
燕都日纪云:贼将各踞巨室,籍没子女为乐,而兵士充塞巷陌,以搜马搜铜为名,沿门淫掠,稍违者,兵加其颈,门卫甚严,即欲脱免,不可得也。不顾青天白日,恣行淫戏。
大事记云:至有八贼轮奸一幼女,立刻而毙。又有一士子女。被奸,告之贼官,贼官先唤女,嘱曰:汝若认奸,便斩汝头。及审,女不敢认,遂坐诬杀士子,而贼党益无忌矣。
新世宏勋云:贼兵每得一妇女,即舁拥城上,挨次行奸,循环不已,妇人即时殒命。或遇贼将过,恐被责,竟向城外抛下。
三月二十六劝进本末
先是,二十三朱纯臣、陈演率百官劝进,不得入。二十五,伪礼政巩,示随驾各官,率耆老上表劝进。故陕西提学佥事也。至次日二十六甲寅,为劝进之始,其表有云:比尧舜而多武功,迈汤武而无惭德。周钟自侈为得意之语。四月初一,宋献策奏帝星不明,速宜登位。初三,鸿胪官在系者,悉复原官习仪,以候即位。时四月三、六、九日,官民三次劝进。牛金星云:大位未正,恐事有中变,劝自成会同礼府巩出示,定十七举此大事。百官十二午门前演礼。十三,皇极殿演礼。十五日颁诏。十六幸学官,行释菜礼。文武百官俱往圜邱候郊天加衮冕,并行祀庙、定功等礼。迁大祖神位于历代帝皇庙,其余太庙祖主,尽行烧毁。此示一出,降臣巩,不俟临期,竟于四月初四入太庙,将太祖神主捧出,送入帝王庙中,其余立时烧去,京师无不唾骂。
或持黄袍示贼,贼目不可开,引至皇极殿金台,金顶雕龙,若将下啖,辙目眩头痛,虽云三六九日朝集,然迟迟末正南面者,以此。往代篡窃之辈,殿或摇,地或陷,咎征亦何可诬也。
贼伪制一盒,刻永昌年月日于中,密置大内,令人简得,诈称符命。又诈饰番僧数人,称西域某国,知新天子登极入贺。
先是四月初,牛、巩出示:定十二演礼,忽东报急。十二日,自成出京。二十六回京,二十七忽传登极。预设卤簿于城外,百官朝贺。
甲乙史云:二十九李自成称皇帝位于武英殿,追尊七代考妣。为帝后,六政府各一赦书,称大顺国永昌元年。
选升降臣
甲乙史云:三月二十六日,选升四品以下百余人,词林则杨观光、梁兆阳改侍郎,项煜改太常寺丞,韩四维降修撰,薛所蕴改司业,何瑞征、高尔俨、方以智、傅鼎铨、杨廷鉴、陈名夏如故。张之奇为顺庆府尹。六科则申芝芳、朱徽、刘昌、戴明说、彭琯、孙承泽、金炼色、光时亨、时敏改科为谏议。止时敏改为县令。御史改直指使,则朱朗鑅、张懋爵、蔡鹏霄、裴希度、涂必泓、韩文铨、陈羽白。吏部改从事,则沈自彰、熊文举、郭万象、王显、杨元锡。其余大理卿刘大巩,光禄卿李元鼎,太常卿吴家周,鸿胪卿张鲁,验马卿宋学显,尚契卿叶初卿,学禄钱位坤,助教李森先,皆改授者。凡铨选皆,宋企郊主之。
三月二十七乙卯
吴三桂挟大清骑叩山海关,贼将不能御。
二十八日丙辰
内官降贼者,自官中出,皆云李贼虽为首,然总有二十余人,俱抗衡不相下。凡事皆众共谋之,时伪国公刘宗敏,以争我叛将白广恩,故遂生心,及京城陷,逆闯多拥金帛,自丰积,宗敏觊之不获,心益离。出大事记。
程源移书勉唐廷彦
初,三月二十日,天津兵道原毓宗倡降,进士程源以书勉饷部唐廷彦,忠孝大义。且云:冯津抚倡义,曹师友义,亦有心人,今粮广兵众,据贼腹而俟恢复,中兴之奇勋也。唐请源入城议战守。比源至城头,防海兵大噪,劫饷库尽,殴廷彦几死。先是,冯元飏为天津抚臣,闻京城变,聚将士泣血,誓勿二门下,已无一人应之。津道原毓宗,秦之蒲人,赴官时遇贼,贼礼之厚,留母为质。因纵之,许内应。比至津,即张皇贼势相离间,及都门贼报至,率绅士先表迎降,兵民皆风而靡。大揭黄旗城橹,署之曰“天壁民顺”。因而津民各用片纸书民顺缀门,前总兵曹友义单骑斩关出,毓宗率兵邀截之,逼元飏迎贼。元飏不屈,副将金斌、总兵娄光先、指挥杨维翰,俱叛称表降。二十一,金斌移营演武场,源复就见说之。唐廷彦伤重,移至,冯元飏皆在群谕以大义起兵,不动。斌且劝廷彦留幕下,源先机退,急以书谕从贼图南二意为千载乐辱之关,不可不决。唐回书云:伤重难存,自反无能报国,惟一死而已。家慈年八十有三,吾兄过敝地,幸婉曲慰之。有子死国,勿过伤也。彦止一子,方八月,源欲竭力保全回籍,彦不从,伤哉。
程源移书邱祖德
二十八日,程源移书山东抚臣邱祖德曰:我皇上未有失德,顷缘诸臣泄泄,饷缺兵单,至贼沦我神京,殒我君父,普天率土同此悲号。又云:江南财赋之地,子弟多豪,贼不先窥而以贻我,彼岂能舍步骑而与我争长江之险耶?况有我蜀据其首,走西安才七日也,而楚豫横其腹,甘宁蚀其心,江东老成尚有人,义旗一举,彼捣此击,克复直指顾间耳。而议者不察,以贼有成焉。其亦借贼为富贵之资也。
二十九日丁丑
程源又移书天津镇将曹友义曰:天地反覆,三光晦蒙,痛哉!食君之禄,误君之事,若是矣。前寓天津,已与将军见及此,彼时相商,便将天津一派为托,将军亦毅然不让。今兹胡然大失哉?昨泊津门,乃知兵以无饷故,为原毓宗诱去,然将军所部健丁五百,如父子,今虽叛去,其心必不忘将军也。目下伪百布列,皆为无籍,各州各县无一人能为守者,即使收捕擒斩,大功亦计日可集。嗟乎!鼎湖龙去,青宫累囚,敷天掩泣之时,正臣子捐躯之日。无负国恩,不污史笔,勉力自爱。
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