卷二十三·宋献策与李岩议明朝取士之弊
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宋献策与李岩议明朝取士之弊
献策既奏疏,出朝遇李岩散步偕行,适见二僧,设两案,供养崇祯灵位,从旁诵经礼忏,降臣绣衣乘马,呵导而过,竟无惨戚意。岩曰:何以纱帽反不如和尚?献策曰:此等纱帽,原是陋品,非和尚之品能超于若辈也。岩曰:明朝选士,由乡试而会试,由会试而廷试,然后观政候选,可谓严核之至矣。何以国家有事,报效之人,不能多见也。献策曰:明朝国政,误在重制科,朝廷高爵厚禄,一旦君父有难,各思自保。其新进者,盖曰:我功名实非容易,二十年灯窗辛苦,才博得一纱帽上头,一事未成焉。我官居极品,亦非容易,二十年仕途小心,始得至此地位。大臣非此一人,我即独死无益。此资格之不得人也。二者,皆谓功名是己所致,所以全无感戴朝廷之意。无怪其弃旧事新,而漠不相关也。可见如此用人,原不显朝廷待士之恩,乃欲责其报效,不亦愚哉!其间更有权势之家,徇情面而进者,养成骄慢,一味贪痴,不知孝弟,焉能忠义?又有富豪之族,从寅缘而进者,既费资财,思权子母,未习文章,焉知忠义?此迩来取士之大弊也。当事者若能矫其弊而反其政,则朝无幸位,而野无遗贤矣。岩曰:适见僧人敬礼旧主,足见其良心不泯,然则释教亦所当崇敬。献策曰:释氏本西竺之裔,异端之教,邪说诬民,充塞仁义,不惟愚夫俗子,惑于其术,乃至学士大夫,亦皆尊其教而趋习之。偶有愤极,则共披剃而避是非,忽值患难,则入空门而忘君父。丛林宝刹之区,悉为藏奸纳叛之薮。君不得而臣,父不得而子,以布衣而抗王侯,以异端而淆正教,惰慢之风,莫此为甚。若云诵经有益,则兵临城下之时,何不诵之退敌?礼忏有功,则君死社稷之日,何不礼忏延年。此释教之荒谬无稽,而徒费百姓之脂膏以奉之也。所当人其人,而火其书,驱天下之游惰,以惜天下之财费,则国用自足,而野无游民矣。岩曰:军师议论极正,但愿主公信从其说,痛洗积习之陋,诚天下国家之幸也。语毕各归营。
牛金星遇异僧
牛金星将入朝,议登极事,行至长安门外见一僧服衲衣拦街,大呼曰:小僧有紧急事情,要告明。金星问曰:和尚有何紧事?僧曰:崇祯爷是个好皇帝,以为李家大兵来,就逼他吊死,既夺了明朝江山,又不见太子下落,特来禀问丞相。金星大怒,左右欲杀之。僧呵呵大笑曰:和尚只一个头,砍了值什么?汝辈几万头却如何?金星曰:此癫僧也,勿杀,命之速去。僧行数步,化一阵清风,不知踪迹。
自成伪檄
自成陷京师,一面遣人招吴三桂,一面行文招左良玉、并高杰、刘泽清等诸将。伪檄云云,具在吴三桂请兵内。
自成诈称符命
宫中忽搜出渗金铜炉及漆金各一,上刻永昌元年三月之吉。人人惊骇,忽果将军入朝报云:四夷馆有西域番僧十余人,言语侏,具表文一道,译出是西天竺国王弥离哆斯满来宾,闻中国有新天子登位、羌来入贺者。
自成改衣服印契
凡文官俱受大将军节制,一品冠上插雉尾,一公服用棋盘方领补子服色,文武一样改换。印章三品以上为符,四品以下为契。
公主梦帝后
何新救公主入周奎家,公主思念父皇母后,时时欲绝饮食,左右苦劝,勉延。一日假寐,忽见先帝后与王承恩至。曰:我已诉于上帝,逆贼恶贯满盈,不久自当消灭,但劫数尚未尽,勾销亦只在一年余矣。语毕见先帝披发仗剑,逐杀闯贼,连声炮响,公主惊觉,以告周奎云。
李自成死罗公山
自成四月三十日西奔,焚五凤楼,九门放火,火光烛天,号哭之声,闻数十里。闻唐通为冯有威杀。五月初二,三桂兵追至定州清水河下岸,斩贼将谷大成,左光先堕马折足,自成屡北。五月五日,率诸将直逼吴营大战。自辰至酉,互有杀伤,忽狂风起,贼阵旗帜悉仆,自成中箭,落马还营。自此且战且走,三桂亦不急追。牛金星见势渐失,有他志,忌李岩、李牟得军民心,欲去之。会报河南归德府同知陈奇、商丘贾士俊,定陵令许承荫、鹿邑令孙澄、考城令范隽、柘城令郭经邦及尚国俊七人,俱被兵部尚书丁启睿命参将丁启光擒缚,往南京;李岩请率兵恢复。自成许之。金星曰:李岩此去必不返,叛形早已露,不如诛之。自成信其言,令金星设酒诱而杀之。宋献策素善李岩,遂往见刘宗敏,以辞激之。宗敏怒曰:彼无一箭功,敢擅杀两大将,须诛之。由是自成将相离心,献策他往,宗敏率众赴河南,自成与李过及骁将数人,率兵十余万,自河南至湖广,欲合张献忠,渡江抵辰州,知献忠已入川,遂驻黔阳二十里外。弘光元年正月下旬也。居二十日,百姓苦之,自成闻何腾蛟兵将至,入山阅视要害,见罗公山险峻而广大,遂分结三大营于其下,为久驻黔阳之计。但兵饷无两月支,命刘宗尧等率兵二千渡江,往豫楚界郡县劫粮;命辛思忠、杨彦率兵二千,于湖广沿江府县劫粮。一夕自成方寝,大呼曰:杀杀杀!我不惧汝。窦氏惊问。自成曰:适梦坐北京殿上,忽见崇祯皇帝,与范景文、倪元璐、汪伟、吴襄、周遇吉等数十人,欲执予。予相振而醒。窦氏曰:勿异也,疑心生暗鬼耳。自成甫睡,复梦如前。见文武叱声如雷。乃寤。次日得疾。李过日进候,由是与窦氏通。自成病益笃,夜半连呼云:皇帝幸释我。遂死。李过以帝礼葬之。
其时,大清朝有贺表谓病故也。
李过降何腾蛟
李自成既死,其侄李过,与贺锦、牛佺、任继宗、刘体仁等共议,诸将俱劝降何腾蛟,李过遂率众归之。
一云:李锦号一只虎,自成侄也。自成死,锦奉自成妻高氏,渡洞庭,踞山寨。隆武遣马吉翔招之,赐锦名赤心,高氏为忠义夫人。隆武既没,堵胤锡以永历阁部抚湖南,赤心就招称臣。然桀骜甚,在营称氏为太后,具疏称自成为先帝。朝议腾忍听之。何腾蛟以阁部督师轻骑诣赤心营,会师取长沙,封赤心兴国侯。
李过虽降,不过名焉而已。世界至此,不成世界。朝廷至此,不成朝廷。君子读之,能无三叹耶!康熙十年四月十三日,用宾氏书于社土之王馆。
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