卷二十一·周凤翔
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周凤翔
周凤翔,字仪伯,号巢轩,浙江绍兴山阴人。父名思观,曾刲肝救亲,以孝着。公生而有异征,聪颖绝世,识者以大器期之。天启甲子乡试第三名,崇祯戊辰成进士,选庶吉士。词林故清署,史臣第雍容以文墨相高。言涉时事,辄引代庖为解。公独讲求世务人才,相与籍记之。户外屦常满,每抵掌谈天下事,不为首鼠两端。橐笔三期,声称日出。庚午晋编修,丙子典江西试,丁丑充经筵讲官,既入侍金华,退而叹曰:明主孳孳向学,逊志时敏,而讲臣不竭忠悉智,以迪宸听,非忠也。中夜拊膺,冀有启渥。未几,升南司业,雍政久弛,师生倚席不讲,公厘饬甚详。已而,升左中允,转左谕德。时国家多事,公感上恩,每一召对,掀髯昌言,其意琅然,同列悚听。尝陈吏速化则治不成,民重征则盗不息。每有披陈,上为倾听。癸未分较礼闱,如沈公泓、黄公淳耀,名流皆出其门。每接见,辄以大义相勉。甲申三月,都城陷,贼令各官报名。时公犹未知先帝存殁,欲趋朝踪迹之。比入陛见,光景大异,同朝诸臣,有忧怖不敢出声者。有相聚偶语者。有面无人色者。有扬扬得意,自诧兴朝佐命者。有侈口诵贼功德者。公不觉掩面,痛哭失声,亟趋归寓所。谓吴公甘来曰:臣子义在必死,然必得一视大行梓宫,缟素恸哭,乃无憾。吴然之。二十一,闻梓宫暴露东华门外,赴哭恸绝,即投金水桥下,水浅不死。归寓作书贻父母曰:国君死社稷,臣子无不死君父之理。男今日幸不亏辱此身,贻两大人羞。吾事毕矣,罔极之恩,无以为报,矢之来生。复赋绝命诗一首。有“碧血九原依圣主,白头二老哭忠魂”之句。家盖具庆也。哀哉。向阙再拜自经。二妾从之俱死。公为人明达魁岸,学问博洽。尝论史曰:三代而后汉与外戚共天下,唐与女后宦官共天下,魏晋以下,与膏梁子弟共天下,宋与奸臣共天下,元与族类共天下,我国朝皆无之,可谓盛矣。但边防海运,最为今日急务。又论学曰:大凡论学不可立党,立党则必争,奚能见道。昔者朱陆之辨,虚心求是也。今日之辨朱陆,私心求胜也。言愈多而道已晦。持论亹亹,听者忘倦。知其临难殉节,非由气激者矣。乙酉,赠公礼部左侍郎,谥文节。
论曰:公死,视倪、马诸公盖独后云。然当先帝龙驭上宾,仓皇无知其事者。皆以为南幸金陵。如明皇奔蜀故事。公不即死,犹庶几伺间窜逸,得执羁留以从灵武之驾也。然公亦幸以是刻死耳。否则刀锯在前,桁杨在后,无论辱身屈膝者,昧心蒙面,即刑僇以死,不得从诸君子后矣。公亦慨慷蹈义者哉(公之子周忠玉)!
汪伟
简讨汪伟,字叔度,号源长,徽州休宁人。其先徒应天,为上元人。少英俊,崇祯戊辰登进士,授知慈溪县。县故岩邑,公以廉平清净治之,政声大着。时烈皇帝念邦家多难,木天片席,当预储备历中外安攘文武之才,为异日纶扉揆席地。乃诏择县令司理,治行卓绝者,试其甲乙,入值金华。公名在高等,补翰林院简讨。时人有登仙之羡。公独思仰报天子拔擢,与为国抡才破格用人至意。益摩厉洗濯,留心经济。寻充东宫讲官,每得四方警报,辄抚膺流涕。壬午流寇破荆襄,南都日虞震邻。公上忧宗社,下念桑梓。上江防绸缪疏。大略谓留都城周百二十里,无守城之法,止有守江之法。贼自北而来,则淮为之防。贼自上而下,则九江为之防。故御淮即以御江,而守九江即以守金陵。今淮上有督抚史可法,屹然长淮保障矣。九江一郡,当江汉之冲,尝以地形考之,武昌藩蔽九江,九江藩蔽太平,太平藩蔽金陵,宜有重臣驻节武昌,九江则设立督抚,而太平采石,命南京兵部侍郎一员,建牙于此,作声援而巩堑垒。武操臣宜驻师新江口,文操臣宜往来巡练江北。浦口江面颇狭,一苇可航,制亦宜如采石,以兵部侍郎分守。城中之守,虽有军士,粗具名目,难恃无恐。大司马多为参赞,于百姓尊而不亲,所应亟补府尹府丞之官,重其权,久其任,以联百万士民之心。如御史詹尔选、叶树声、郭维经、成勇,巡抚袁继咸、方孔昭,清贞端亮,皆不二心之臣,应擢卿贰,以备江上督抚之选。或酌资俸,以备府尹府丞之用。必能实心任事,渐有成功。疏入报闻。癸未分较会试,得顾咸建本房。甲申闻贼渐近都城,遗书友人曰:京师单弱,不惟不能战,亦不能守。一死外无他计也。及贼犯阙,累日不食。谓继妻耿氏曰:死吾决矣。耿氏曰:苟事不测,请从君死。城陷,出问乘舆所在,绕宫门者三。则宫人皆逃出矣。遂趋吴给事甘来所,约同殉难。还寓手书遗子孝廉观生曰:呜呼!我生不辰,丁此国难。讲读之官,既无事权可为,一得之长,亦不见用。惟有一死以自靖而已。继室耿氏,少年节烈,矢志不移,乃于城陷之日,恬然从我而死,使万世之后,知我朝复有赵昂发也。吾儿读圣贤书,须以忠孝自勉,勿辱先人。老母不能终养,幼子晋生,年甫四岁,不能抚之成人,皆吾儿事也。柩不得还,以吾夫妇衣冠,招魂葬之华山张家岗,俾魂魄常得依吾父母也。凡我亲友,俱为致声,天下事有可为,不可失忠孝念头也。书毕,与妻呼酒命酌,大书前人语于壁曰:志不可屈,身不可降。夫妇同死,节义成双。因具袍笏北向拜阙,南向拜母,乃为两缳于梁间,公以便就右,耿氏就左,既皆缢。耿氏复挥曰:止止!我辈虽在颠沛,夫妇之序,不可失也。复解缳,正左右序而死。人比之结缨易箦云。时长子观生,壬午举人,晋生,耿氏出;耿氏年仅二十三,以晋生托其弟耿元吉,匿之长班家。后得归。南都赠公詹事府少詹事,谥文烈。耿氏赠恭人,并祀旌忠祠。盖烈皇帝朝特简推知入翰林死节者,惟公一人。而孟进士章明、顾钱塘咸建、刘南昌曙三人,又皆以公门人死节。子观生清修洁操,能继父风。
论曰:唐宋取士,首重制科,苟不登是选,虽方州将相,不称荣遇。明庶常之拔,与之相类。但制科妙简于历任之后,故文学政事,盖有兼隆。庶常则释褐受职,石渠天禄,未免徒以雕龙绣虎之业相目。三百年旷制,至先帝始复。公实膺其选,可不谓殊恩乎!及铜驼荆棘,馆僚自外入者,争匍伏屈膝不暇,非公仗义死节,几何不笑先帝此典为多事哉!典以一人重,信夫。
公尝书邸壁云:看世不破,为世所弄。公之取义,真能超脱生死者乎?野乘载长子名观,而启祯录则云观生。疑观为是,姑存之以俟考。
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