卷三·翠翠传
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翠翠,姓刘氏,淮安民家女也。生而颖悟,能通诗书,父母不夺其志,就令入学。同学有金氏子者,名定,与之同岁,亦聪明俊雅。诸生戏之曰:“同岁者当为夫妇。”二人亦私以此自许。金生赠翠翠诗曰:
十二阑干七宝台,春风到处艳阳开。
东园桃树西园柳,何不移教一处栽?
翠翠和曰:
平生每恨祝英台,凄抱何为不肯开?
我愿东君勤用意,早移花树向阳栽。
已而翠翠年长,不复至学。年及十六,父母为其议亲,辄悲泣不食。以情问之,初不肯言,久乃曰:“必西家金定,妾已许之矣。若不相从,有死而已,誓不登他门也!”父母不得已,听焉。然而刘富而金贫,其子虽聪俊,门户甚不敌。及媒氏至其家,果以贫辞,惭愧不敢当。媒氏曰:“刘家小娘子,必欲得金生,父母亦许之矣。若以贫辞,是负其诚志,而失此一好姻缘也。今当语之曰:‘寒家有子,粗知诗礼,贵宅见求,敢不从命。但生自蓬筚,安于贫贱久矣,若责其聘问之仪,婚娶之礼,终恐无从而致。’彼以爱女之故,当不较也。”其家从之。媒氏复命,父母果曰:“婚姻论财,夷虏之道,吾知择婿而已,不计其他。但彼不足而我有余,我女到彼,必不能堪,莫若赘之入门可矣。”媒氏传命再往,其家幸甚。遂涓日结亲,凡币帛之类,羔雁之属,皆女家自备。过门交拜,二人相见,喜可知矣!是夕,翠翠于枕上作《临江仙》一阕赠生曰:
曾向书斋同笔砚,故人今作新人。洞房花烛十分春!汗沾蝴蝶粉,身惹麝香尘。 殢雨尤云浑未惯,枕边眉黛羞颦,轻怜痛惜莫嫌频。愿郎从此始,日近日相亲。
邀生继和。生遂次韵曰:
记得书斋同讲习,新人不是他人。扁舟来访武陵春:仙居邻紫府,人世隔红尘。誓海盟山心已许,几番浅笑轻颦,向人犹自语频频。意中无别意,来后有谁亲?
二人相得之乐,虽孔翠之在赤霄,鸳鸯之游绿水,未足喻也。
未及一载,张士诚兄弟起兵高邮,尽陷沿淮诸郡,女为其部将李将军者所掳。至正末,士诚辟土益广,跨江南北,奄有浙西,乃通款元朝,愿奉正朔,道途始通,行旅无阻。生于是辞别内、外父母,求访其妻,誓不见则不复还。行至平江,则闻李将军见为绍兴守御;及至绍兴,则又调屯兵安丰矣;复至安丰,则回湖州驻扎矣。
生来往江淮,备经险阻,星霜屡移,囊囊又竭,然此心终不少懈;草行露宿,丐乞于人,仅而得达湖州。则李将军方贵重用事,威焰赫奕。生伫立门墙,踌躇窥俟,将进而未能,欲言而不敢。阍者怪而问焉。生曰:“仆,淮安人也,丧乱以来,闻有一妹在于贵府,是以不远千里至此,欲求一见耳。”阍者曰:“然则汝何姓名?汝妹年貌若干?愿得详言,以审其实。”生曰:“仆姓刘,名金定,妹名翠翠,识字能文。当失去之时,年始十七,以岁月计之,今则二十有四矣。”阍者闻之,曰:“府中果有刘氏者,淮安人,其齿如汝所言,识字、善为诗,性又通慧,本使宠之专房。汝信不妄,吾将告于内,汝且止此以待。”遂奔趋入告。须臾,复出,领生入见。将军坐于厅上,生再拜而起,具述厥由。将军,武人也,信之不疑,即命内竖告于翠翠曰:“汝兄自乡中来此,当出见之。”翠翠承命而出,以兄妹之礼见于厅前,动问父母外,不能措一辞,但相对悲咽而已。将军曰:“汝既远来,道途跋涉,心力疲困,可且于吾门下休息,吾当徐为之所。”即出新衣一袭,令服之,并以帷帐衾席之属设于门西小斋,令生处焉。翌日,谓生曰:“汝妹能识字,汝亦通书否?”生曰:“仆在乡中,以儒为业,以书为本,凡经史子集,涉猎尽矣,盖素所习也,又何疑焉?”将军喜曰:“吾自少失学,乘乱崛起。方响用于时,趋从者众,宾客盈门,无人延款,书启堆案,无人裁答。汝便处吾门下,足充一记室矣。”
生,聪敏者也,性既温和,才又秀发,处于其门,益自检束,承上接下,咸得其欢,代书回简,曲尽其意。将军大以为得人,待之甚厚。然生本为求妻而来,自厅前一见之后,不可再得,闺阁深邃,内外隔绝,但欲一达其意,而终无便可乘。荏苒数月,时及授衣,西风夕起,白露为霜,独处空斋,终夜不寐,乃成一诗曰:
好花移入玉阑干,春色无缘得再看。
乐处岂知愁处苦,别时虽易见时难。
何年塞上重归马?此夜庭中独舞鸾。
雾阁云窗深几许?可怜辜负月团圆。
诗成,书于片纸,拆布裘之领而缝之,以百钱纳于小竖,而告曰:“天气已寒,吾衣甚薄,乞挤入付吾妹,令浣濯而缝纫之,将以御寒耳。”小竖如言持入。翠翠解其意,拆衣而诗见,大加伤感,吞声而泣,别为一诗,亦缝于内,以付生。诗曰:
一自乡关动战锋,旧愁新恨几重重!
肠虽已断情难断,生不相从死亦从。
长使德言藏破镜,终教子建赋游龙。
绿珠碧玉心中事,今日谁知也到侬!
生得诗,知其以死许之,无复致望,愈加抑郁,遂感沉痼。翠翠请于将军,始得一至床前问候,而生病已亟矣。翠翠以臂扶生而起,生引首侧视,凝泪满眶,长吁一声,奄然命尽。将军怜之,葬于道场山麓。翠翠送殡而归,是夜得疾,不复饮药,展转衾席,将及两月。一旦,告于将军曰:“妾弃家相从,已得八载。流离外境,举目无亲,止有一兄,今又死矣。妾病必不起,乞埋骨兄侧,黄泉之下,庶有依托,免于他乡作孤魂也。”言尽而卒。将军不违其志,竟附葬于生之坟左,宛然东西二丘焉。
洪武初,张氏既灭,翠翠家有一旧仆,以商贩为业,路经湖州,过道场山下,见朱门华屋,槐柳掩映,翠翠与金生方凭肩而立。遽呼之入,访问父母存殁,及乡井旧事。仆曰:“娘子与郎安得在此?”翠翠曰:“始因兵乱,我为李将军所掳,郎君远来寻访,将军不阻,以我归焉,因遂侨居于此耳。”仆曰:“予今还淮安,娘子可修一书以报父母也。”翠翠留之宿,饭吴兴之香糯,羹苕溪之鲜鲫,以乌程酒出饮之。明旦,遂修启以上父母曰:
伏以父生母育,难酬罔极之恩;夫唱妇随,夙著三从之义。在人伦而已定,何时事之多艰!;曩者汉日将颓,楚氛甚恶,倒持太阿之柄,擅弄潢池之兵。豕长蛇,互相吞并;雄蜂雌蝶,各自逃生。不能玉碎于乱离,乃至瓦全于仓卒。驱驰战马,随逐征鞍。望高天而八翼莫飞,思故国而三魂屡散。良辰易迈,伤青鸾之伴木鸡;怨偶为仇,惧乌鸦之打丹凤。虽应酬而为乐,终感激而生悲。夜月杜鹃之啼,春风蝴蝶之梦。时移事往,苦尽甘来。今则杨素览镜而归妻,王敦开閤而放妓,蓬岛践当时之约,潇湘有故人之逢。自怜赋命之屯,不恨寻春之晚。章台之柳,虽已折于他人;玄都之花,尚不改于前度。将谓瓶沉而簪折,岂期壁返而珠还。殆同玉萧女两世姻缘,难比红拂妓一时配合。天与其便,事非偶然。煎鸾胶而续断弦,重谐缱绻;托鱼腹而传尺素,谨致丁宁。未奉甘旨,先此申复。
父母得之,甚喜。其父即赁舟与仆自淮徂浙,径奔吴兴。至道场山下畴昔留宿之处,则荒烟野草,狐兔之迹交道,前所见屋宇,乃东西两坟耳。方疑访间,适有野僧扶锡而过,叩而问焉。则曰:“此故李将军所葬金生与翠娘之坟耳,岂有人居乎?”大惊。取其书而视之,则白纸一幅也。
时李将军为国朝所戮,无从诘问其详。父哭于坟下曰:“汝以书赚我,令我千里至此,本欲与我一见也。今我至此,而汝藏踪秘迹,匿影潜形。我与汝,生为父子,死何间焉?妆如有灵,毋齐一见,以释我疑虑也。”是夜,宿于坟。以三更后,翠翠与金生拜跪于前,悲号宛转。父泣而抚问之,乃具述其始末曰:“往者祸起萧墙,兵兴属郡。不能效窦氏女之烈,乃致为沙吒利之躯。忍耻偷生,离乡去国。恨以惠兰之弱质,配兹驵侩之下材。惟知夺石家买笑之姬,岂暇怜息国不言之妇。叫九阍而无路,度一日而三秋。良人不弃旧恩,特勤远访,托兄妹之名,而仅获一见,隔伉俪之情,而终遂不通。彼感疾而先殂,妾含冤而继殒。欲求袝葬,幸得同归。大略如斯,微言莫尽。”父曰:“我之来此,本欲取汝还家,以奉我耳。今汝已矣,将取汝骨迁于先垄,亦不虚行一遭也。”复泣而言曰:“妾生而不幸,不得视膳庭闱;殁且无缘,不得首丘茔垄。然而地道尚静,神理宜安,若更迁移,反成劳扰。况溪山秀丽,草木荣华,既已安焉,非所愿也。”因抱持其父而大哭。父遂惊觉,乃一梦也。明日,以牲酒奠于坟下,与仆返棹而归。
至今过者指为金、翠墓云。
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