卷十二·熊文灿代卢象升
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丙子夏六月休兵,象升疾走秦关,与总督洪承畴议事。时秦中之贼方炽,豫中之贼又来,凡临潼、邠州、渭南、韩城、华州等处,承畴随地严兵阻贼。象升又屡获奇胜,金鱼阱兽,贼旦暮可平,乃温体仁忌功,象升忽受命勤王。未几,改宣大总督,而以熊文灿代之。文灿惟迎合中朝为事,一意招抚,贼势复烈。盖体仁以象升为南人,不习边塞,改置重地增其担负,缓则敝之,急则杀之,此其积念也。后象升战没,承畴寻亦改督蓟辽。
孙传廷擒高迎祥
正月二十三日己巳,陕贼陷麟游。二月,过天星乞降,陕抚甘学润受之,寻延河劫掠如故。三月,山西贼陷和顺。十八日癸亥,甘学润削籍听勘,以孙传廷代之。五月十一癸丑,过天星复叛于延安。七月十一癸丑,陕贼陷成县。十九日壬戌,孙传廷击贼于盩厔,大破之。擒贼首闯王高迎祥及刘哲等,献俘阙下磔于市。十月汉南贼陷褒城。
高迎祥为流寇之魁,纵横秦晋者十载,流毒不可胜计。传廷一旦得而擒之,亦甚快矣。虽其后有潼关之败,而此功亦何可掩欤!
李自成入西川
高迎祥既擒,自成窜西川,走苗城。十月初四日,冲梨树、垭日等关,副将孔全斌等遁。于是,破宁羌,攻广元。逆宗朱廷一者,时为军将,株守保宁,坐视不救,遂直犯成都。蜀抚王维章听其突入,不能扼御。自成往来阶徽间,维章逮问伏法。
河南光山之败
丙子正月二十六日壬申,贼陷阌乡。上用经略侍郎王家祯巡抚河南。时宛南、裕舞一带,巨寇鸱张,踞蟠龙山,负嵎为势,不一年家祯旋罢去,升河北道,常道立代之。盖道立幼在杨鹤衙斋,与嗣昌善。嗣昌时以本兵入阁也。上又忧贼不即平,命内臣卢九德、刘元斌率禁旅出讨。八月抵河南,九德号双泉,扬州人,性勤干,谙练兵机。其把牌中军黄得功、朱纪,皆骁勇绝伦。官兵剿贼于真阳县之张家湾,追至光山,千总张国柱被围,游击苗有才救之,而山下雪积坑深,方欲收兵,贼大队齐发,呼啰啰为号,四面合围,官兵大败。大界剧贼,人有副马,疲则易之,跷捷如飞,官兵用步卒尾之,重趼而至,贼已逸去。喘息未定,他警又告。故将士不胜劳苦,终无成功,是年贼势益炽。
左良玉鄢陵之捷
丙子秋,河南贼首老回回、许文冲、王九仁、王成龙、薛仁贵等,连营七十里,所在焚掠。其势张甚。八月二十六日,掠扶沟等县,乡野火光彻天,四夜不息。时,左良玉病新痊,率兵三千驻鄢陵。有楚绅某,复资精锐五百人,会获谍者讯之,乃曰大师居大营,夜间发火亦大,小师小营,夜间发火亦小。盖百姓菽豆新登,贼至暮聚而焚之,各营遥望火焰猛烈者,即知大帅所居。凡日中所杀兵民,所掠子女,及金币几何,俱往报功。贼帅开营检纳。小帅营前火势稍微,诸贼一望可办。人有赤、白二旗为号。良玉得其实,即大张旗帜,广启营门,伏甲士于内,将菽草爇之,光可烛天,贼见火烟勃起,谓大帅所在,咸趋至献功,良玉纳之。审阅甫毕,暗举一号,壮士突出,擒二十八人,斩之。守营贼见报功者良久不还,窃疑之。良玉乘夜亲率精锐,掩袭贼不之备,大败,获银盔九,即分赉将士。是夕,追杀数十里,骑贼逸去,步贼遁走不及,或伏乡野复墙,或匿草间花地,及明,百姓迟索田园中,悉擒出斩之。凡杀数千人,尸横遍野。时获一妇人,美而艳,首饰金珠甚盛,服白细衣,白绫裹足。良玉问曰:汝何方人?妇曰:山西平阳人。良玉曰:几何岁矣?曰三十二岁。问从贼几年矣?曰:三年。又问丈夫何人?今安在?曰:夫号薛仁贵,已死于练司地方矣。薛仁贵者,居恒素衣银胄,其兵旗甲俱用白色,望之如雪,故号薛仁贵。骁勇善战,军中称为白袍将军。廷讯既毕,令出斩之,肌色如玉,独尻下既黑且坚,以乘马三年故也。诸兵分取珠宝,剖其腹,将心肺炙而食之。是役也,贼众折伤,溃而为二。老回回一股奔郑州,计文冲一股奔陈州、沈邱,后良玉追至郑州,老回回遣人詈而诱之。良玉怒,追入夹山,误为贼围,久之,不料粮尽援绝,良玉将自刎,麾下千总洪机,年二十七,猛勇绝伦,急止之。曰:将军何为若是?某愿奋死溃围,良玉遂与并马鏖搏,兵从之,百姓踞山上,飞掷砖石以助兵势。由此开路,良玉突围而出,然山径多石,洪机马蹶,身被重伤。出围三日乃死。良玉悲恸,杀马祭之,设醮而去。良玉字昆山,辽阳人,其为将也,军法颇宽,凡掠子女金帛,俱不之究。但谕之云:汝只为我杀贼耳。鄢陵之役,所得货宝,俱赏士卒,而己纤毫不取。其得众以此。此吾乡人昔年在豫时。亲所见闻而述者。
良玉驻军楚豫,一诸生笃于伉俪,诉兵掠其妻,良玉命诣营亲索,已而得之。入白良玉,其妻嫌生之贫,而耽于兵之富逸也。竟不肯认。良玉不能决,问生曰:既为汝妻,知体彼有暗记否?生曰:曾记乳下有一黑子。良玉验之,果信。谓生曰:彼既不以汝为夫,汝何必以优为妻耶。军中妇人不少,任汝所择。生泣拜而出,检一妇以去。行不三里,忽一骑飞至,赠生以囊,启视之,乃良玉所斩恶妇首级也。生大惊泣谢。一时传以为快。然所至淫掠,岂能如一笠一釜必斩之师哉(六月十一笔)。
楚中流寇焚竹山
丙子十二月,郧襄贼犯竹山。竹山县属湖广郧阳府,自七年为贼屠陷,至八年知县黄应鹏仅栖草舍数椽,至是贼复至,应鹏弃城走。贼入据城,有征粮六百石,尽为贼食。食尽焚县治而去,为空城矣。
三月二十七日甲戌,抚治郧阳宋祖舜削籍,以追寇失利,亡其符印故也。以苗胙土抚郧阳。十月,河南贼陷襄阳。十二月,以郧襄贼逞罢抚治苗胙土,以陈良训代之。
当时,猾贼强逞,虽宿将犹不能制,而以白面书生当之,庸有济乎?纷纷代易,徒扰民耳!
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