卷十九·张献忠屠武昌
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张献忠屠武昌
癸未五月,总兵方国安率兵扼蕲州,武昌武备废弛,闯、献交窥江汉。时议募兵守城,而库藏空虚,楚王有积金百万,三司请贷,王不许。大学士贺逢圣家居倡义,捐赀募兵,适承天德安溃兵俱下,楚王尽募之为军锋,以长史徐学颜领之,号楚府兵。献忠沿江而上,破汉阳,临江欲渡,武昌大震。议彻江上兵,撄城守。参将崔文荣曰:守城不如守江,守江不如守汉,磨盘煤炭诸州,浅不过马腹,纵之飞渡,而婴城坐困,非策也。议者不从。贼果从煤炭洲而渡,直逼城下。文荣御之,少有斩获,贼攻武胜门,文荣率诸军拒之,多杀伤。壬戌,楚府新募兵为内应,开门迎贼,文荣跃马持矛大呼杀贼,贼攒刺之,洞腋死。贺逢圣与文荣俱守武胜门,城陷归,衣冠北向再拜,以巨舟载其家,出墩子湖,至中流凿舟,全家溺死。逢圣尸沈百七十日不坏。十一月始葬。楚府长史徐学颜,方署江夏县,与贼格斗,左臂断,右手尚持刀不仆,为贼支解,合门殉难二十余人。都司朱士鼎被执,贼强以为总兵官。士鼎戟手大骂,贼断其左右手,弃之江滨。士鼎縳草于臂,作书毕乃死。兴都留守沈寿崇,及武昌通判李毓英,武昌知县邹逢吉,嘉鱼知县王良鉴,皆死。楚宗多从贼者,献忠执楚王,尽取宫中积金百余万,辇载数百车不尽。楚人以是咸憾王之愚也。献忠以箯舆笼王,沈之西湖。湖水涌沸,久之乃死。贼亦异之。王之先乃太祖第六子,洪武三年封,至是始遭难,其富可知。贼屠僇士民数万,投尸于江,尚余数万人,纵之出城,以铁骑围而蹙之。江中浮尸,蔽江而下,武昌鱼几不可食。其余民数百,悉断手足,毁目鼻,无一全形者。献忠遂据武昌府。僭称武昌曰京城。伪设六部五府。铸西土之宝,开科取士,殿试取三十人为进士,授即县官。初,李自成兵临汉阳,不克,闻献忠取之,自成怒,榜示远近,曰有能擒献忠献者,赏千金。及闻取武昌,复遣人贺之曰:老回回已降,曹、革、左皆被杀,行将及汝矣。献忠惧,卑词以答,求彼此为援,多赉金宝使于自成。自成留其使,献忠恨之。
遗闻载贼从鸭蛋洲渡,武昌知县邹逢吉死之。而史略则云从煤炭洲渡,未知孰是。
贺逢圣,字克由,号对扬,武昌江夏人。父亨阳,潜心理学,所著有思聪录、人模样等书,公为诸生,受知督学邹迪光,而熊尚文尤奇。公与熊廷弼并见赏爱。或问二公优劣。答曰:贺生夏瑚商琏,熊生干将莫邪。后其言竟不爽。廷弼领解,公不与,迪光赠以五千金,为三年膏火计。万历癸卯,捷贤书,屡上春官,不第。选应城教谕。丙辰登进士,殿试第二人,除编修。壬戌分试得华允诚等,公居乡与廷弼颇不合,后廷弼将被罪,楚绅梅之焕、满朝荐以廷弼冤,疑公意有异同。公曰:讵以小嫌介意,遂援笔具草,而已不可救矣。会杨忠烈劾忠贤,忠贤切齿,楚人犹慕公清望,语之曰:各省俱建生祠,惟贵乡湖广实无功德。公曰:此地方官事,非某所敢知。珰默然。遂借南畿主试之推,削公籍。崇祯初,补南京祭酒。丙子入内阁,戊寅致任。后二年,再召入,与首辅勃溪不合,寻告归。上召便殿宴饯,公伏地悲泣,上亦恻然动容。同官陈演大呼曰:逢圣有罪,不可引动天泪。公掩涕起侍,赐冠履、坐蟒衣一袭,遣官护送回籍。时壬午岁也。明年癸未,贼破蕲州、黄麻,烽火速鄂城,武昌大震。公以死守劝当事,其门人大冶尹如翁心忧公,特驰三百里往谒,挟一僧帽、一袈裟微讽之。公以见危授命对。五月十九日,献忠攻武昌,二日不下,会报监军杨王基升郧抚,遽移营渡江,兵势单弱,贼遂从汉阳门入,城陷,乃二十二日也。公服御赐冠履蟒衣,诣楚王府,将奉王同死。至则藩府为献忠窃据,王已不知所在。公遂见执。乃曰:我欲亲见献贼,骂之死。众不令见,公乃北向五叩头毕,遂投缁阳桥下而死。夫人危氏、子觐明,皆死之。仲子光明,守八分山墓,闻难来奔,又死之。两子媳,一曾氏,一陈氏,孙三人,皆死。一仆萱命,相依七日,竟死之。合门就义者二十余人。公既殁,大吏招魂祭葬,公八阅月而尸出,面目如生,冠缨不绝。诸生尹如翁,归大冶,城破被执,不屈而死。其父孝廉珩,博学负气节,先避地吴中。公死,上感悼,命礼官议恤,会遭国变,南京谥公文忠。
江阴冯生云:贼将尽杀城中男女,逢圣谓之曰:汝何不杀我?免杀许多百姓。贼不忍加害,送至献忠老营,亦不忍杀。逢圣曰:速杀我一人,其余百姓无罪。献忠曰:依汝言,全了他尸罢。盖欲驱民入江耳。此与前传小异。
一云:献忠以武昌民众,不能顿杀,开城驱之入江,焚香三枝,与众刻期。如香尽而犹在城内者,尽杀。民争趋出。蹂死万计,不能出者,杀之。凡驱民三十万,溺之于江。江水尽赤,浮尸千里。予是时闻有流至镇江者,真人间大凶贼也。有自楚来者云:献忠将屠武昌时,大雨如注,雷声轰烈,献忠驰马呼曰:上天怒得紧了,何不快杀,遂如砍瓜截菜者然。数十万众不能遽杀,乃启城逼入江中。献忠每自云:我是黄巢后一人,又云,我比黄巢杀人更多。其凶忍残暴,无复人理如此。
时武昌一人,平居好善,城破跃入江中,止见桑田,初不知水,步行三十里,至青山峡,登岸抵家,竟无恙。人咸异之,即己亦不知其故。至今犹在益力行善事。一云:逢圣朝服投江死,门生大冶尹如翁从之。是贺、尹同死也。而此云归大冶云云,似小异。
前载贺公以巨舟载全家溺死,是一门同日死也。而野乘所载,止云同日危夫人、觐明之死,余先后不一,似与史略小异,姑兼记之。
先是,崇祯五年,襄阳地震,武昌震而且陷。及十五年壬午冬,自成破襄阳,至是,献忠又屠武昌,俱不出一纪。然则地道本静,而震动不已。是失其常矣,能无灾变乎?
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