卷十六·张献忠围桐城
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张献忠围桐城
陈石舫,枞阳文士。枞阳镇距桐城百三十里。庚辰,献忠驻庐州、六安诸处,去桐城三百余里。时枞杨犹寂然无恙,忽乡人谓石舫曰:君能饮,吾当告以机事。石舫问之。其人曰:近得密报,献忠不日且至,君应速走。石舫犹疑信参半,不意谈笑间,贼骑已充斥于前矣。一昼夜行三百里。
九月七日,立营于黄山谷读书台。台在山巅,可以眺远。焚掠三日,凡杀八千余人,壮勇者驱之攻城。时献忠大队距桐城五里结营,困之,使偏裨分掠乡民充军攻城。其驱掠之法,以精锐十人孰戈前率,使所掠之民随行,又以武士十人押后,复令骑兵十人左右分列,操刀催督,苟前者已过,后或不续,即杀之,众惧疾行。驱至近城,解入老营,虽千百人,不过三十骑督趱,献坐营中,每人审问,如答应详明,即留下。
文人多不杀,贼有四大营,献居中老营,外驻三营,犹如鼎足,环护老营,三营者,一名前营,二名中营,三名后营。献忠戴尖毡帽,服织锦胡桃花衣,软靴布毯,于地而坐。眉间有箭疮,为患时出脓水。二美人侍侧,以白绫方数寸,进而拭之。既拂,辄弃绫于地。顷之,眉心复湿,仍拭如前。无一日间,箭疮,即戊寅岁左良玉所射者也。至是已三年,犹时时迸裂。左右骁将二十人,佩刀随护,碗酒大肉,席地传饮。
时九月初十,为献忠生日,各营头目及本营诸将,皆称觥上寿,优人侑觞,凡作三阕,第一演关公五关斩六将,第二演韩世忠勤王,第三演尉迟恭三鞭换两锏。三奏既毕,八音复举。美人歌舞杂陈于前,欢饮移时,诸将辞出。献忠戒之曰:桐城百姓怨恨我辈,晚间须慎,勿纵饮误大事,款嘱再三。诸将曰:敢不如命?一揖而退。献忠自宿老营中心,选美人绝色者二人侍寝,夜尝不寐,裹甲微行,携刀巡视,虽左右仆御,亦不知所在,其深密如此。所宿之外,第一层,以所掠文士旋绕居之,呼为相公。第二层,令女子居之,呼为美人。第三层,使医士居之,呼为大夫。第四层,书吏等居之。第五层,勇士固守营门。
凡心腹悉隶帐下,有入其老营者,不得遽出。若见文士,则询其策略,或当意者,即授之职,赐以符合,使攻取城邑。如无所能而欲还乡者,辄杀之;所掠士子,知为本邑人,昼则与之饮食,命妇人承事,似见宠侍,及夜,则虞其遁逸,悉絷之,离乡三百里,始纵而不缚,所掠童子,教以骑射杀人,日间所遣,夜则点名,问今日杀人几块,犹云几个也。童子杀掠过多,献忠则喜而赏之,若无所杀掠,即笞二十棍。由是所至,劫杀一空,百姓恨刺骨,俱呼为八贼,而不称八大王。小卒掠得金银,悉献主将,不许私匿,如藏银三两,即杀之,恐有金而逃耳。故贫民室庐既墟,无以度日,皆从之奔掠,用是所至益众。平居无事,则练习士卒,如十骑兵,即使十步兵或棍手与之搏击,击杀马兵,即以所乘马赏之。故骑卒多精锐。
时邑令张拱极,固守桐城,献忠攻之,弥月不破。城为吕蒙所筑,外砖内石,坚甚。攻者止能挖去砖而已,不克穿其石也。献忠掠乡郭居民,畚土担石,高筑长堤环攻之,城内用炮击杀焉。贼将尸和土填入,复以利械授民,驱之前攻,城外土墩,几与北门齐,贼将逾城入,城中大惧,复发大炮击杀之。邑之乡人甚苦,而真贼实未伤一人。时总戎黄得功,方镇庐州,拱极遣人间道乞援,得攻率众星驰,献忠闻之解围去。得功追之不及。至今百姓尸祝之。凡献忠他遁,虑追兵蹑至,多以金帛遗地,兵利其以有,亦不穷追,是以大为民患。贼将去,所幸美人悉手刃之,及柢他邑,所掠美人,亦复如前。着挈之不能,去之可惜。故其惨毒如此。亦美人之厄运也。当献忠犯桐城,陈石舫亦在掠中,有湖广人张义者,昔年同舍生之僮也。至是为贼将,忽遇石舫问曰:相公识我乎?石舫茫然答曰:忘之矣。张曰:予即曩时在相公家趋事者。毋恐,会须相救。已而献忠点名审问,闻上连呼归顺班,声如雷,有文且才者,即留中。递至石舫,张义欲脱之,乃白献忠曰:此人无所长,且不能徒步。所获牲口,反与之用,不如释去。献忠曰:吾昔日在庐州,用一人即破一城,岂有文人无用之理,谓顾石舫曰:汝欲归耶,吾即送汝归耳。石舫信之。俯伏谢。既而引至一所,百姓甚众,尽杀之,递及石舫,张义举手一摇,行刑者一刀而去。石舫血溅衣体,颓然而仆。然不觉痛,亦异也。时尸横道左,供马蹂践,而张义适至,见而问曰。相公能咳一声乎?石舫嗽之有声。义喜曰:可救也。喉尚未断令四人舁之私室,且嘱曰:慎勿省膏药等物,止以旧毡帽边,烧灰傅之,晚间用茶洗去脓秽,久当自愈,乃去。石舫如其言,疗之,三月始愈。康熙四年乙巳季夏二十九日,予在枞阳,见石舫项上刀痕环结,询之石舫,遂详述前事如此。且云是岁元旦大雪,枞阳屋上俱有大人足迹,长可二尺许,众皆异之。是秋即罹此变,或谓足迹,乃降灾之神也。石舫家于山龛中,藏书万卷,并楼台亭屋,悉成灰烬。惜哉!
谈笑间数百里猝至,所谓行千里而不劳者,行于无人之地也。献忠得之矣,惜乎用之不善。
前载九月献忠、汝才陷大昌,今载九月献忠围桐城,贼虽善于驰突,恐吴蜀万里,未必一月便能分犯。盖陷大昌者,疑为罗汝才。不然,或史略所载之月,恐有小误。此出目击,断无可疑。
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