卷十四·陕贼剿降略尽
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陕贼剿降略尽
五月,夺总督洪承畴尚书爵,仍以侍郎总督。左光先、曹应蛟,并夺五级,限五月尽贼。至八月,承畴报陕西贼割降略尽,命出关向河南、湖广。
限五月尽贼,而八月即尽,何其速也。维时贼分流半天下。曷尝剿降尽之乎?不过走犯他方耳。上以速期,而下即以速应大抵然矣(六月二十日笔)。
豫、楚屡捷
戊寅正月,巡抚常道立奏贼犯邓州,焚毁周王八茔。总理熊文灿报贼犯英山,命九路之兵会剿,贼从德黄一路潜遁。楚抚俞应桂逮间,豫抚常道立招抚陈塌天等。闯塌天本名刘国能,性颇孝,就抚乃奉其母命也。晋抚宋贤奏混十万等贼乘虚窥渡,攻克五塔扢等寨,攻围陕州等处。官兵御却之。贼拔营远遁。二月,官兵三战三捷,败贼于镇平县,生擒草上飞、独脚虎等,斩扒天虎等四人。贼渡河间光山等处,结连曹操及托天王、整世王、混世王、十天王、紫微星、过天星、飞虎八家大贼,乘商城、固始界,欲上颖霍等处度暑计。太监卢九德,分布官兵迎击,大败贼于山石桥,擒贼抵地虎、黑旋风等。三月,巡道张天经,又败贼于黄福店,斩获无算,招降贼首飞天师等。五月,总兵左光先,又三败贼于大寨地方。六月,陈永福又大败之于饶良镇。嗣是,官兵又败之于宜阳连庄、雍家庄、林家庄等处。左良玉又大败之于高坡。混十万带伤遁,妻子囚执入省。混十万本名侯世范,亦旋降。九月,内臣卢九德扼之于襄,抚臣常道立击之于邓,监军张大经、总兵刘泽清、左良玉、张任学击之于襄、承、随、枣、汝、许。十月,张任学又败之于高庄,贼南北无路,转战败逃。凡曹操、革里眼、托天王、过天星等贼,在豫、在楚者,无不分头鼠窜。
王焘随州自经
王焘,南直昆山人。万历戊午举人。崇祯时为湖广德安府随州知州。戊寅二月,贼首张献忠,合众数十万围城,焘亲冒矢石,斩获千级,城守益坚。贼有随州纸城变作铁城之号。移营遁去。抚按交上其功,为守御第一。后贼挟恨,复以数十万至关厢,守将王必用先挟家丁遁。城遂陷。焘身被数创,犹率家人巷战,势不可支。始向北再拜自经死。时廷咎焘以一死塞责,故无恤典。弘光时,始谥忠愍。又与蔡忠襄懋德,立祠其乡,赐名双忠。蔡亦昆山人。
张献忠请降
戊寅正月,左良玉、陈洪范大破贼于郧西。张献忠寻请降。初,献忠自良涿噪而为陈洪范捕获,异其貌而释之。至是怀旧恩,乞降于洪范,请率所部杀贼自效。总理熊文灿承制抚之,献忠狡而多计,群贼每以为的。文灿议饷二万人,献忠乞饷十万人;文灿迟延不能决,献忠寄家口于谷城,入据守之,分屯群贼于四郊。
罗汝才乞抚
九月,熊文灿次于襄阳,遣将击贼于双沟,大破之。群贼四逸。惟曹操独留内浙山中,守险自保。文灿檄左良玉、陈洪范招安群贼。十月,大清兵败高起潜于芦沟桥,京师戒严,召孙传廷于陕西,洪承畴于三边。于是,承畴、传廷,率诸将合兵五万,先后出潼流入援。贼曹操闻之,谓为剿己也,率九营从郧阳浅渚乱流而涉,突走均州,叩大和山。提督太监李维政乞抚,维政言于文灿,文灿乃檄止诸军。曹操九营皆就抚。文灿上言请贷其罪,授游击将军,令诸将宴于迎恩官署,供亿甚备。曹操名罗汝才。汝才既抚,分屯群贼于房竹,保障四邑。自言不愿为官,并不食饷,愿为百姓耕田此中而已。文灿一切羁縻,檄汝才解散胁从,简壮勇从征立功。汝才不听。因与郧、均诸邑居民,分地错坏而居。时张献忠亦就抚,屯谷城,汝才遥与为声援。抚治郧阳戴秉闵奏曰:曹操就抚,不从解散之令,愿为百姓耕田,此目前盗铃之说耳。张献忠入据谷城,屡檄不前,将俟民间田熟,分其夏秋之粮,稍不遂意,干戈遂起。荆襄重地,今数省大寇,环聚二三百里,羽翼已成,将有不可言者。然各贼尽聚郧地,四面合围,实有釜鱼阱兽之势,以理臣各镇现在兵马,再令督臣发秦兵由兴安驰赴协同扫荡,此实万全之机也。
大清兵入燕、齐
戊寅二月,大清兵攻宣平府羊房膳堡。九月召西人大举分入,副总兵丁志详窦浚等来援,大清兵稍引而南。冬十月卢象升袭之,不克。甲辰高起潜兵败,京师戒严,召各抚入援。十一月初三辛酉,京师闭门守。癸亥,掠良乡、涿州。初九丁卯,薄景州,入高阳,少师孙承宗死之。己酉,入衡水、武邑诸州县。又破威县,杀家居翰林王建极。至内邱,知县高翔汉力守乃退。甲子薄德州,分道渡河,合于济宁。十二月,卢象升战于贾庄,败绩死之,改洪承畴蓟辽总督。
孙承宗殉节
孙承宗,字稚绳,号恺阳,北直高阳人。万历甲辰进士,廷试第二。庚戌,取士钱谦益等。乙卯,主考应天。天启年,升少詹。二年,升礼部右侍郎,寻迁兵部尚书,兼东阁大学士。时二月十二日也,广宁沦溃,王在晋代熊廷弼经略辽东,请筑重关于山海关之八里铺。谓外关即破,内关尚可守,而外关之兵无可逃,为工二万余人,为费百万,而城楼诸费不与焉。承宗曰:守宁远者,所以守关门,退处于关。则永平动摇,京师震动,势必大乱。八里铺去关门未及一舍地。是山海为孤注也。役遂罢。自请行边,上御门临送,赐剑坐蟒,既莅任,开屯筑堡,招徕流移百万,又练军得精兵五万,凡经营四年,辟地四百里,魏忠贤与群小畏忌之,诬左袒东林,五年勒致仕归。崇祯二年,大清兵入,特起原官。辛未,十七疏乞休,赐金币驰驿归,以力谢款议,与枢臣熊明遇、首辅周延儒之议左也。戊寅十一月十二日,大清兵薄高阳城,承宗率邑绅,誓死登陴,顾土城低脆,外援不至。大清兵昼夜环攻,石尽矢竭,力不能支。承宗守北门,谓家人曰:我死此矣,汝辈各自逃生,家人环泣不忍去。城既破,大清兵掖之去,入城南老营中,用苇席藉地,望阙叩头,叱持缳者趋缢我,乃绝;年八十,子孙凡十九人,皆力战从死。事闻,先帝震悼,薛国观靳其恤典弗肯与。久之,南都追赠太傅,谥文忠。承宗铁面剑眉,须髯戟张,声如鼓钟,殷动墙壁。年二十余,为举子,游塞下,知要害。凡史官在禁近者,皆俯躬低声,涵养相体,谓之女儿官;承宗独不然,讲筵献替,务为激切剀直。所著文集一百卷,及吊二十五忠诗行世。
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