卷十五·张献忠复叛
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张献忠复叛
己卯三月,漕抚中军刘良佐,有光山之捷,安庐巡道易开远,有舒城三捷,贼渐西奔,张献忠、曹操因入房竹山中。房县、竹山县俱属湖广郧阳府。初献忠假官兵旗,袭南阳,屯南关。左良玉适至,疑而召之,献窘逸去。良玉追及,两马相望,一箭中其眉心,一箭钉其中指于弓靶,献仓皇间,良玉举刀劈其面,血流被甲,孙可望力前格之,得免。逃至麻城,良玉追剿之,一昼夜行七百里,至襄阳府之谷城县。戊寅正月初九夜,破之,出示民曰:本营志在匡乱,已逐闯兵远遁,本营释甲归朝,乃拘耆老具结,遣可望以碧玉,长尺余者。二方,圆径寸珠二枚,贿熊文灿请降。文灿许焉。以佥事张大经监其军。文灿庸鄙无能,驻节襄阳,于后圃种蔬,日用数十人灌溉。时旱,郡邑申文祈雨,文灿批云:园蔬茁茂,禾苗何以独枯?不过奸民为逋粮地耳。其设施如此。良玉谋于巡按林铭球,巡道王瑞旃,欲诱执献。文灿曰:杀降不祥,力庇之,乃移其营于城内。献恃文灿,益无忌。私练士卒,造军器。谷城诸生徐以显一见如故,教以孙吴兵法。又乞职衔,索月饷,且请渑、陕、庐、灵、阌五州县。屯马步兵六千。己卯春,献忠叛形愈着,良玉请讨之。文灿故彰露其事,使献知之,强留良玉饮饯,稽延时日。献从容尽运兵械入房山,文灿始催出兵,则献已叛矣。是时,文灿招抚十三家贼,蜂屯蚁聚,中州一带,旋抚旋叛。巡抚徐一范,谓可剿之机会,与能剿之物力,都从抚里错过,良不诬也。五月,献忠既叛,杀谷城令阮之钿。之钿临殁,沥血书绝命词。罗汝才九营并起,应献忠,献忠胁御史林鸣球上书求封于襄阳。鸣球不从,遂杀之。七月,张、罗二贼合于房县。良玉闻变曰:经略纵虎负嵎,使我撄之不去,必以逗遛罪我,令旗至,即冒暑进兵,遇伏大败而还,失其符印。良玉列其状,上革文灿职,良玉亦降职,令杀贼自赎。
锡绅徐调元,戊寅令黄冈,尝云献既就抚,文灿疏奏,留中不下,献性如猿猴,不耐久静,营于城外,将儿案叠起,每日自下而上,循环不已,如教猴升木,无一息停,虽天性好动,亦借此自练,并以练士卒耳。时文灿疏久不报,献从将十人,驰入城,问县令阮之钿曰:廷议云何?阮迎其意曰:将军不日大拜,且封侯矣。献乃去,如是者数次。已越月,疏终不下,献侦所请多不遂,乃密谋叛,复驰入县。诘阮如前。阮惊恐无措,献知其谬。大怒曰:汝诱我耶,顾左右曰:抓他头来,即斩首去,遂叛。“仕途捷径无过贼,将相奇谋只是招”;宋人之言,若为文灿写照。
房景春父子死节
房景春,字和满,南直江都人。万历壬子举人,崇祯辛未就教盐城,罢归,迁黄州照磨,署篆黄安。甫二日而贼掩至。誓以身与城存亡,战守八昼夜,贼遁去。戊寅,升房县知县。时熊文灿招九营,大寇交斥郧属,而罗汝才、白贵、黑云祥三营,分马入房,逼据西关,景春知事不可为,与主簿朱邦闻、游击杨道选,内修守具,外定盟书,苟安旦夕。己卯五月,张献忠突入房。盖献忠已破谷城,县令阮之钿死,遂胜鼓行而西,而新插三营,群起响应,城中兵赢饷缺,景春血书寸纸,遣人缒城出求救,不报。献忠逼复城,景春曰:吾头可断,城不可让也。贼益攻,景春发炮歼贼,贼以棺覆首,四面环围,守门指挥张三锡为内应,城陷,杨道选巷战死,景春被执,劝降不从,命拽出斩之。子生员鸣鸾,抱父尸哭骂,贼复手刃,仆陈宜亦被杀。朱邦闻与其家人俱不屈死。事闻,赠景春太仆寺卿,鸣鸾与陈宜俱祔祀。
死忠死孝,日月光昭,景春、鸣鸾之节烈矣。至若道选、邦闻,宁与令君同日而死,不与叛逆同而生,岂非皆不二心之臣哉!
杨嗣昌代熊文灿
初,熊文灿与大学士杨嗣昌,深相结纳。嗣昌欲文灿成功,以结上知,文灿既败,嗣昌内不自安,请督师南讨,上甚慰劳之。八月十七日壬戌,命嗣昌督师讨贼,赐尚方剑,并督师辅臣银印,给帑金四万,赏功牌千五百,蟒纻绯绢各五百。九月初五日丁卯,嗣昌陛辞,上宴于平台后殿,手觞嗣昌,赉金爵,赐以诗,勒于文庙,亲赋铙歌二首赠行,命会兵十万,给本折色银二万,出师之隆,莫盛于此。御史张肯堂请着为令,有创为抚说者,议出编氓行伍,以奸细论;议出道将绅衿,以通贼论;议出督府镇帅,以误国论。疏入,嗣昌弗善也。嗣昌首倡众敛一议加剿饷三百万两,又加练饷七百三十余万两,合旧派每年加二千三百万,以致民穷盗起。至是力以灭贼自任。冬十月,嗣昌至襄阳,入熊文灿军,诏逮文灿入京,论死,弃西市。拜左良玉平贼将军;良玉所部多降将,嗣昌谓可倚以辨贼,为请于上,故有是命。贼初闻嗣昌出,颇心怖,及嗣昌抵任,踵袭文灿招抚故智,谋以郧事委郧抚袁继咸,楚事委楚抚宋一鹤。一鹤贪懦巧谄,以嗣昌父名鹤,投揭,自署其名曰一鸟。楚人争传笑之。嗣昌对守年余,一筹莫展,自撤白虎之险,纵贼入川,贼势益张,不可收拾。嗣昌妄听杨卓然之说谓献贼难图,革左易抚,辄思舍难就易,檄左良玉趋皖,驾言川中霄贼,不足烦大兵,军中咸知失计。良玉探识其奸。率兵竟去,连发十九檄,追之不返,贼复出,无当关者矣。旦贼由西北陆走襄阳,而嗣昌由西南水走夷陵,歧路相避,犹饰称鞭长不及。甚至地方失事,匿不上闻,而又虚设捷级,动云寇不足虑。滤州知州苏琼等死于贼,嗣昌复砍其头,充级报功,群贼愈无所惮。当是时,楚抚代罢不常。戊寅十一年六月,逮楚抚余应桂,以方孔昭代之。至十三年正月,逮孔昭,命宋一鹤代之。十二年己卯四月朔戊子,郧阳抚治戴东闵免,以王鳌永代之。至十三年,罢鳌永,以袁继咸代之。代易纷纷,迄无成功,祇为猾贼笑耳。
嗣昌抵任以下,兼十三年事在内,因上文而并及之耳。阅楚抚一行可知。
志异
七月二十五日,吾邑飞蝗蔽天,所集之地。禾豆立尽,当事设法捕捉,斗米易斗蝗,小民争捕之,或焚或瘗。
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