卷五·李自成起
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李自成,陕西延安府米脂县双泉堡人。双泉堡大镇,东西街口,有大井二,故名。父名守忠,务农颇饶。生二子,长名鸿名;又二十年,为万历三十四年丙午,五月生次子,名鸿基,即自成也。九月,鸿名生子名过,十二月,鸿名死。先是,守忠父李海,一名势,俱单传,惟忠守生二子,然鸿基生而鸿名即死,亦单传耳。鸿名死,三年妻改适,守忠抚鸿基与过八岁就塾,二人不喜读书,酷嗜拳勇,各不相下。守忠屡责不悛。
年十三,鸿基母死,窃与过出外朋饮,里有刘国龙,亦同庚,相遇甚欢,偕往郊外驰马,饮于村肆。相谓曰:吾辈须习武艺,成大事,读书何用?次日具牲礼诣关庙仿桃园故事,鸿基欲较力,见神前铁炉一座,重七十三斤,只手举之。绕殿一匝,仍置故处。刘国龙掩衣欲举,不能动。两手握之,方起行五步止。李过奋力一提,亦不动。如国龙法,行十五步止。鸿基复提绕殿一周,置于旧处。道士惊赏曰:汝父为善,故生汝。鸿基大言曰:大丈夫当横行天下,自成自立,若株守父业,岂男子乎?前三岁曾梦伟将军呼予李自成,今即改名自成,号鸿基。国龙等称贺。由是三人,数聚饮,守忠嗔责,复将延师束之。自成私走延安,闻罗教师,曩为将,武艺超轶,遂师之。日与其党驰射,大喜。越四月,移书国龙与过,云予在延安,师罗某习武,汝二人速来同学,不可虚废岁月。正月十六日,守忠见书,往觅,时自成于罗处初习单刀,不即归,罗固劝之,乃还。
越三月,守忠恐复往,乃延罗某于家,使刘、李三人师之。年十八,自成性喜生事,守忠为过娶邓氏,而自成欲择美妇,遂迟半载,娶韩金儿,艳而淫。年十四,适西安老绅为妾,以行斥,继为延安监生妾,又见弃。至是自成娶之。其夕,守忠梦土地告云:汝家祸崇入门,百日内有大灾,速与汝孙暂避河南,勿被虎伤。倘违吾言,后悔无及。汝子自成有祸无害,守忠觉不乐,遂与过托进香泰安去。月余自成往延安,韩氏与里棍盖虎儿有奸。
越半月,自成归,晚宿十里铺,梦韩与少年偕寝,欲杀之,少年走,乃杀韩而寤。黎明即行抵家,宛如所梦,举刀直前,盖虎儿以绨袍御之而逸,遂杀韩。众挟之赴县,时署篆艾同知曰:汝妻不良,杀之固当,但捉奸须双,今止杀妻,于律不合,遣孟县丞往验。次日庭讯,笞二十下狱,自成倩丁门子贿二百金,乃出,即发审单云,李自成因妻韩氏不良而杀之,却无奸夫同杀为证,何以服人,况不合律,姑拟徒。俟获奸夫再审。自成怒曰:杀死淫妇,理之当然,奈何受金面罪,我会须控宪,丁闻之而惧,白于艾。艾出牒覆勘,自成以泄言,知不免,遂杀艾,遁走甘肃。
二年己巳冬,大清兵十万人入越蓟薄京,京师戒严,征兵勤王,甘肃巡抚梅之焕有文武才,总戎杨肇基素称骁勇,奉旨赴援,自成投军,居肇基麾下,边地多盗,肇基每使亲兵往剿,止事劫掠,独自成见壮士辄释去,每云东海舟头,亦有遇处,已而升总旗,属下五十人,俱称长官。甘肃东有盗警,自成心谓响马颇有英雄,可结一二,以作异日瓜牙。因请往捕,甘肃与兰州接壤,有高如岳者,膂力绝人,善骑射,白袍白巾,聚党百余,服色悉按五方,居土山堰下,自称闯王,时出行劫。
自成引兵搜三日,如岳以八骑至,自成列阵以待。如岳曰:高闯王在此,速让道。自成曰观若亦是好男子,何为作此举动?予特奉令取汝,如岳曰:能者来战,飞骑突至。自成迎战良久,艺勇悉敌,知不可力争。乃谓之曰:自古好汉识好汉,观汝状貌,定非凡品,可下马相见,有一言奉告,遂各叙礼,欢如鱼水。同至土山,结为兄弟,宰马设誓,云患难相扶,富贵共享,若有异心,神其不佑。酣饮达旦,自成将行。语之曰:自此以往,勿复行掠。予若功名小就,请同处边庭,倘鄙愿有违,相从不远,乃别。
自成回镇。以他级报功,遂升把总。适征兵檄至,梅抚杨镇勤王,以王参将为先锋,自成与刘良佐不服。良佐,字明辅,大同左卫人。自成曰:宁为鸡口,毋为牛后。良佐曰:昔郭子仪本行伍中人,后为天下大元帅,我二人有才如此,宁忧不富贵?自成曰:大元帅何足道,汉高祖刘知远,我太祖皇帝岂患宗传下天子,亦是平空做成事业者。杨主将安识吾两人。
时师北行,王参将居前队,杨总戎统中军,过兰州犒师,秋毫不犯。次日百里抵金县,邑小令怯,闭署不出。王参将入城欲见令,有兵哗于庭,笞六人,半为自成卒。自成怒,与良佐等缚令出,欲见肇基。适遇参将,刺杀之。时良佐妻子在兰州十里庄,自成孑身,闻如岳有众八百,率所部往。时高麾下勇士,有罗汝才、刘国龙、贺一龙、马守应、刘希尧等数人劫掠郡县,官兵屡败,曾于临洮府城外,关厢人家,掠美妇五,邢氏、赵氏、余氏、安氏、邬氏,而邢氏尤绝色,如岳嬖之,妻鲍氏妒甚,适自成至,遂以邢氏配之。每日贼将轮劫,贺锦自北都返报,大清师已退,将推督下剿,众有惧色。其议乘兵未至,掠平民充阵,以精兵继之。
于是各统所部往渭原、河州、金县、甘州等处劫掠,所至之地,即起火,名放亮儿,所掠衣粮等物,即令乡民畀至营中,持刀问云:愿从否?如不愿,即云我送汝去,一刀杀之。苟愿从,又问有父母妻子否?无则不问,有则问想否,不想则已,倘云想之,吾送汝去,复一刀杀之。凡初获者,必缚五日始释,有逃而复获者,则截其耳,或黥其面,兵遇之反指为真贼,解官请赏,主将不之省,斩首示众,故不愿作贼者,既为贼所掠,亦无如之何而从之矣。由是众至数万。
编年云:二年都城警,诏天下勤王,山西巡抚耿如杞以兵入援,哗于涿州,大掠良乡。耿如杞逮论死,溃兵遂窜走秦、晋山谷间为盗。先是元年,米脂人李自成性狡点,善走,能骑射,家贫为驿书,闻王嘉允反,往投焉。后推高迎祥为首,称闯王。
一云自成多力善射,少与衙卒李固、铁冶刘敏政结好,暴于乡里,后随众作贼。其兵尝云:我王原是个打铁的,今后军都督府张家原是个补锅的。初是只七十人相从,后渐结聚,及并了老回回、小表英兵,才有数万。
各本俱载贼首高迎祥,而此独言高如岳,是一是二,存实以俟考。
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