列传·卷二十二
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萧夺剌 萧普达 耶律侯哂 耶律古昱 耶律独攧 萧韩家 萧乌野
萧夺剌,字挼懒,遥辇洼可汗宫人。祖涅鲁古,北院枢密副使。父撒抹,字胡独堇,重熙初补祗候郎君,累迁北面林牙。十九年,从耶律宜新、萧蒲奴伐夏,至萧惠败绩之地,获侦候者,知人烟聚落,多国人陷没而不能还者,尽俘以归。拜大父敞稳,知山北道边境事。清宁初,历西南面、西北路招讨使,加同中书门下平章事,卒。
夺剌体貌丰伟,骑射绝人。由祗候郎君升汉人行宫副部署。后为乌古敌烈统军使,克敌有功,加龙虎卫上将军,授西北路招讨使。因陈北边利害,请以本路诸部与倒塌岭统军司连兵屯戍。再表,不纳。改东北路统军使。乾统元年,以久练边事,复为西北路招讨使。北阻卜耶睹刮率邻部来侵,夺剌逆击,追奔数十里。二年,乘耶睹刮无备,以轻骑袭之,获马万五千匹,牛羊称是。先是,有诏方面无事,招讨、副统军、都监内一员入觐。是时同僚皆阙,夺剌以军事付幕吏而朝,坐是免官。改西京留守,复为东北路统军使。卒于官。
萧普达,字弹隐。统和初,为南院承旨。开泰六年,出为乌古部节度使。七年,敌烈部叛,讨平之,徙乌古敌烈部都监。遣敌烈骑卒取北阻卜名马以献,赐诏褒奖。重熙初,改乌古敌烈部都详稳,讨诸蕃有功。普达深练边事,能以悦使人。有所俘获,悉散麾下,由是大得众心。历西南面招讨使。党项叛入西夏,普达讨之,中流矢,殁于阵。帝闻,惜之,赙赠加厚。
耶律侯哂,字秃宁,北院夷离堇蒲古只之后。祖查只,北院大王。父忽古,黄皮室详稳。侯哂初为西南巡边官,以廉洁称,累迁南京统军使,寻为北院大王。重熙十一年,党项部人多叛入西夏,侯哂受诏,巡西边沿河要地,多建城堡以镇之,徙东京留守。十三年,与知府萧欧里斯讨蒲卢毛朵部有功,加兼侍中。致仕,卒。
耶律古昱,字磨鲁堇,北院林牙突吕不四世孙。有膂力,工驰射。开泰间,为乌古敌烈部都监。会部人叛,从枢密使耶律世良讨平之,以功诏镇抚西北部。教以种树、畜牧,不数年,民多富实。中京盗起,命古昱为巡逻使,悉擒之。上亲征渤海,将黄皮室军,有破敌功,累迁御史中丞,寻授开远军节度使,徙镇归德。重熙二十一年,改天成军节度使,卒于官,年七十,赠同中书门下平章事。二子:宜新,兀没。
宜新,重熙间从萧惠讨西夏。惠败绩,宜新一军独全,拜北院大王。
兀没,大康三年为汉人行宫副部署。乙辛诬害太子,词连兀没,帝释之。是秋,乙辛复奏与萧杨九私议宫壸事,被害。乾统间,赠同中书门下平章事。
耶律独攧,字胡独堇,太师古昱之子。重熙初,为左护卫,将禁兵从伐夏有功,授十二行糺司徒。再举伐夏,独攧括山西诸郡马。还,迁拽剌详稳。西南未平,命独攧同知金肃军事。夏人来侵,击败之,进涅剌奥隗部节度使。清宁元年,召为皇太后左护卫太保。四年,改宁远军节度使。东路饥,奏振之。历五国、乌古部、辽兴军三镇节度使,四捷军详稳。大康元年卒,追赠同中书门下平章事。子阿思,有传。
萧韩家,国舅之族。性端简谨愿,动循礼法。清宁中,为护卫太保。大康二年,迁知北院枢密副使。三年,经画西南边天池旧堑,立堡砦,正疆界,刻石而还,为汉人行宫都部署。是年秋猎,堕马卒。
萧乌野,字草隐,其先出兴圣宫分,观察使塔里直之孙也。性孝悌,尚礼法,雅为乡党所称。重熙中,补护卫,兴宗见其勤恪,迁护卫太保。清宁九年,佐耶律仁先平重元乱,以功加团练使。时敌烈部数为邻部侵扰,民多困弊,命乌野为敌烈部节度使,恤困穷,省徭役,不数月,部人以安。寻以母老,归养于家。母亡,尤极哀毁。服阕,历官兴圣、延庆二宫使,卒。论曰:乌古敌烈,大部也,夺剌为统军,克敌有功;普达居详稳,悦以使人。西北,重镇也,侯哂巡边以廉称;古昱镇抚而民富;独攧驻金肃而夏人不敢东猎。噫!部人内附,方面以宁,虽朝廷处置得宜,而诸将之力抑亦何可少哉!
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作者:佚名
萧夺剌,字挼懒,遥辇洼可汗宫人。祖父涅鲁古,北院枢密副使。父亲撒抹,字胡独堇,重熙初补为祗候郎君,累迁北面林牙。十九年(1050),随从耶律宜新、萧蒲奴讨伐夏国,到达萧惠兵败之地,获得侦候之人,了解了当地人烟村落分布情况,知当地人多为国人陷没而不能回还者,便尽数俘掠而回,因功拜为大父敞稳,知山北道边境事。清宁初,历任西南面、西北路招讨使,加同中书门下平章事,不久去世。
夺剌身材魁梧,骑射技术过人。由祗候郎君升为汉人行宫副部署。后来担任乌古敌烈统军使,战胜敌人有功,加龙虎卫上将军,授西北路招讨使。于是陈奏北部边境的利害,请求率本路诸部与倒塌岭统军司结连兵马屯戍。两度上表,意见均未被采纳。改任东北路统军使。
乾统元年(1101),因为长期熟悉边境事务,复任西北路招讨使。北阻卜耶睹刮率领邻部前来侵犯,夺剌迎击,追亡逐北数十里。二年,乘耶睹刮没有防备之时,派轻骑兵袭击,获取马五千匹,牛羊数也与此相当。
在此之前,有诏令地方官员无事者,招讨、副统军、都监三人中应派一员入朝觐见。这时同僚都不在,夺剌将军事托付于幕府小吏而入朝,因此被免官。后改任西京留守,再任东北路统军使。死于任上。
耶律古昱,字磨鲁堇,北院林牙突吕不四世孙。力大过人,擅长骑马射箭。
开泰年间,任乌古敌烈部都监。适逢部人反叛,古昱随从枢密使耶律世良讨伐平定之。因功受诏镇抚西北部。教百姓种树、放牧,不上几年,百姓大多变得富足。中京盗贼起,圣宗命令古昱担任巡逻使,古昱尽数擒获之。皇上亲征渤海,古昱率黄皮室军,破敌有功,累迁御史中丞,不久授为开远军节度使,移镇归德。
重熙二十一年(1052),改任天成军节度使,死于任上,年七十岁,赠同中书门下平章事。
辽史·列传·卷二十二部分译文
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