入彭蠡经松门观石镜缅怀谢康乐题诗书游览之志
- 入彭蠡经松门观石镜缅怀谢康乐题诗书游览之志原文
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谢公之彭蠡,因此游松门。
余方窥石镜,兼得穷江源。
将欲继风雅,岂徒清心魂。
前赏逾所见,后来道空存。
况属临泛美,而无洲诸喧。
漾水向东去,漳流直南奔。
空濛三川夕,回合千里昏。
青桂隐遥月,绿枫鸣愁猿。
水碧或可采,金精秘莫论。
吾将学仙去,冀与琴高言。 -
作者:佚名
译文
谢灵运先生曾经由此泛舟鄱阳湖,并游览松门山。
我也刚刚从那里仰望山上的石镜,并顺流上达流水尽头。
此行是继承谢公的风雅传统和精神,不仅仅是来这里散心。
前辈的高见超迈,我辈何处寻真知?
现在正临大水汛时期,浩浩洋洋,无比壮美,而没有江岸边激流的喧闹。
漾水向东方流去,漳水向正南方奔逝。
两水与湖交汇处的夜晚空空朦朦,蜿蜒千里,一派混沌。
天空明月隐蔽在青青的桂花树丛,愁猿的哀啼笼罩着翠绿的枫林。
江中也许可以采到碧绿的水玉,可是炼金丹的秘诀何处可寻?
我要学仙去了,希望可以与仙人琴高谈心。注释
(1)《书·禹贡》:嶓冢导漾,东流为汉,又东为沧浪之水,过三湿至于大别,南入于江,东汇泽为彭蠡。孔安国《书传》泉始出山为漾水,东南流为沔水,至汉中东流为汉水。《通志略》:汉水名虽多而实一水,说者纷然,其原出兴元府西县嶓冢山为漾水,东流为沔水,又东至南郑为汉水。有褒水,从武功来入焉。又东左与文水会,又东过西城,旬水入焉。又东过郧乡县南,又屈而东南,过武当县。又东过顺阳县,有淯水,自虢州卢氏县北来入焉。又东过中庐,别有淮水,自房陵淮山东流入焉。又东过南漳荆山,而为沧浪之水,或云在襄阳即为沧浪之水。又东南过宜城,有鄢水入焉。又东过鄀,敖水入焉。又东南臼水入焉。又东过云、杜,而为夏水,有郧水入焉。又东至汉阳,触大别山,南入于江。班云行一千七百六十里。
(2)孔颖达《左传正义》:《释例》云:漳水出新城沶乡县南,至荆山东南,经襄阳、南郡当阳县入沮。《通志略》:漳水出临沮县东荆山,东南至当阳县,右入于沮。临沮,今襄阳南漳县。当阳,今隶荆门军。《一统志》: 漳江,源出临沮县南,至荆州当阳北,与沮水合流,入大江。
(3)谢朓诗:“空濛如薄雾。”三川,三江也。按三江,孔安国、班固、郑玄、韦昭、桑钦、郭璞诸说不一,惟郑云:左合汉为北江,右合彭蠡为南江,岷江居其中为中江。今考江水发源蜀地,最居上流,下至湖广,汉江之水自北来会之,又下至江西,则彭蠡之水自南来会之,三水合流而东,以入于海,所谓三江既入也。《禹贡》既以岷江为中江,汉水为北江,则彭蠡之水为南江可知矣。苏东坡谓岷山之江为中江,嶓冢之江为北江,豫章之江为南江,盖本郑说也。
(4)谢灵运诗:“州岛骤回合。”王僧达诗:“黄沙千里昏。”
(5)郭璞《江赋》:“金精玉英瑱其里。”李善注:《穆天子传》:“河伯曰:示汝黄金之膏。”郭璞曰:“金膏,其精汋也。”
作者:李白
入彭蠡经松门观石镜缅怀谢康乐题诗书游览之志译文及注释
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