至德二载甫自京金光门
- 至德二载甫自京金光门原文
- 此道昔归顺,西郊胡正繁。至今残破胆,应有未招魂。
近得归京邑,移官岂至尊。无才日衰老,驻马望千门。 作者:佚名
译文
当初从叛军占领的长安逃出归往行在的时候,走的就是这个门。
当时西郊驻扎的敌人很多,往来调动甚频。
真是危险极了,直到现在想起来还觉得胆战心惊。
那时更是吓破了胆,至今彷佛还有未招回的魂。
自从担任左拾遗这近侍之官,随着鸾与回到京邑。
如今被放为外任之官,又哪里是圣上的本心!
是因为我自己不争气,没有才干,而日渐衰老。
但我依旧不愿离去,驻马回望帝都的万户千门。注释
①金光门:长安外郭城西面三门,中曰金光门。
②道:小路。
③凤翔:今陕西凤翔县,757年(至德二年),唐肃宗驻跸于此。
④掾:古代对属宫的统称。此指华州司功参军之职。
⑤归顺:指逃脱叛军归凤翔,投奔肃宗。
⑥胡:指安史叛军。
⑦移官:调动官职,指由左拾遗外放为华州司功参军。
⑧千门:指宫殿,形容其建筑宏伟,门户很多。作者:佚名
首联扣题,从“悲往事”写起,述说往日虎口逃归时的险象。“胡正繁”有两层含义:一是说当时安史叛军势大,朝廷岌岌可危;二是说西门外敌人多而往来频繁,逃出真是太难,更能表现出诗人对朝廷的无限忠诚。
颔联“至今”暗转,进一步抒写昔日逃归时的危急情态,伸足前意而又暗转下文,追昔而伤今,情致婉曲。章法上有金针暗度之效,浦起龙《读杜心解》卷三之一评云:“题曰‘有悲往事’,而诗之下截并悲今事矣。妙在三、四句说往事,却以‘至今’而言,下便可直接移掾矣。”指的正是这一点。
颈联转写今悲,满腔忠心却遭外贬,本是皇帝刻薄寡恩,是皇帝自己疏远他,可诗人却偏说“移官岂至尊”,决无埋怨皇帝之意,故成为杜甫忠君的美谈。元人赵汸《杜律赵注》卷上评云:“子美乃心王室,出于天性。故身陷贼中而奋不顾死,间道归朝。及为侍从,虽遭谗被黜,而终不能忘君。”但若仔细体会,杜甫在这两句中还是含有怨艾之情的,只不过是说得婉曲罢了。
尾联在自伤自叹中抒写眷恋朝廷不忍遽去的情怀。感情复杂而深婉,真是“一句一转,风神欲绝。实公生平出处之大节。自觉孤臣去国,徘徊四颅,凄怆动人”(吴瞻泰《杜诗提要》卷七)。对全诗之评价,清人黄生较为公允中肯:“前半具文见意。拔贼自归,孤忠可录;坐党横斥,臣不负君,君自负臣矣。后半移官京邑,但咎己之无才;远去至尊,不胜情之瞻恋。立言忠厚,可观可感”(《杜诗说》卷十二)
作者:杜甫
至德二载甫自京金光门译文及注释
至德二载甫自京金光门赏析
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