卷二十·何腾蛟
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何腾蛟
十二辛丑,漕抚路振飞,言淮徐道何腾蛟,整顿徐方有功,今升楚抚,已成之绪恐废。有同知范鸣珂二十年安于府倅,恬守可知,即以补腾蛟缺,可称并美。
元宵贼入城
北京每岁正月初八,燃灯至十八止作元宵节,是年连夕皎月,九门不闭,金鼓震天。每门自城外入者,以千百计,皆以闹元宵为名,达旦不出。守者曰,何每夕见其入,不见其出也。时闹元宵,贼俱腰缠数百金,既入城,大者买将,小者买兵,各守城上,部内贪其厚贿,竟不核也。及三月贼至,离城二里,佯守城贼,多置铁子炮中,不向下击,而向上发,俱打空中,不伤一贼。久之,贼度铁子已尽,乃悉薄城,城上已无铁子,炮徒干响而已。众议往工部请箭,行未及,贼用高木续接,围以布,使健儿鱼贯而登,守者不拒,反以手援之入贼。既上,发三炮,守者悉脱衣反服,俱平日号衣也,见有不反服者,即以刀砍之,遂大溃。盖元宵九门分股频进,贼已万千伏城内矣。
无锡王季重□□房,腰间银带着人割去,朝内有偷儿,时事可知矣。
李建泰督师
李建泰,字复余,山西曲阜县人,天启五年己丑进士,崇祯季年为大学士。甲申正月,上忧冠于临朝日向阁臣兴叹曰:贼势如此,阃外无人承任,府库殚竭,将如之何?卿等能无为朕分忧哉?建泰进曰:主忧如此,臣敢不竭驽力。臣晋人,颇知贼中事,愿以家财佐军,可资万人数月之粮。臣请提兵西行,上大喜。慰劳再四曰:卿若行,朕当访古推毂礼,亲饯之郊,不敢轻也。十六己巳,建泰揭请出师,因题用卫贞固、凌駉、郭中杰。上谕卿即整装就行,具见忠奋,所请吏部即用所需旗牌勘合照例速给。建泰又曰:进士石愿单骑走陕北,连甘肃、宁夏之兵,外连羌部,召募忠勇,劝输义饷,剿寇立功,否亦内守西河,扼吭延安,使贼不得东渡。上悦,欲用石。建泰曰:俟臣西行,酌而用之。二十己酉郭中僯实授副总兵,督辅中军旗鼓,上命查大明集礼中,边将授钺告庙礼,看议安行。二十三壬子,建泰揭荐布衣罗天锦,如议用。介松年着以科衔催饷有功,实授。二十六日乙卯,上命建泰出师,行遣将礼。寅时,命驸马都尉万炜,以特牲告太庙。卯时,上临轩,廷授建泰节剑,殿梁响声大作,如催折然。巳时,备法驾御正阳门,亲饯,官军旗幡十余万,自午门外排至正阳门外,旌旗金鼓甚盛,文武百官,俱至列席十九。文东武西,御席居中。御用金台爵皆嵌大宝石,是累朝重器,诸臣则皆金杯也。命五省掌印侯伯,内阁六部,都察院掌印官,及京营总协侍坐,鸿胪赞礼,御史纠仪,将军侍卫,设宴作乐,上亲递酒三杯曰:先生此去,如朕亲行,即以三杯赐之,复出御撰手敕奖谕。亲临正阳,用宝以赐。内珰为挂红簪花,鼓乐导上方剑而出,上目送之,良久返驾。是日大风扬沙,占曰不利行师,太监韩赞周奏南京地震,建泰乘肩舆,甫出宣武门,舆杠忽折,识者忧之。诸臣又公饯于护国寺,建泰意气英英,言方入寺时,视其印绶忽发大如斗,同官相与贺曰:此指日成功,取金印如斗兆也。授进士凌駉职方司主事,随辅臣监军,西洋人汤若望随行,修火攻水利,进士程源私与凌駉曰:此行也,兼程抵太原,收拾三晋,犹可济也。若三晋失守,无能为矣。二十七丙辰,建泰奏微臣驰往太原,因遏救河东分守李正脩,上命金毓峒监军赴晋,允正脩赦罪。督辅军前效用,建泰出都,道闻山西烽火甚急,家存亡未卜,益迟迟以行。日行止三十里,师次涿州,营兵三千逃回,行至顺德府广宗县,绅衿城守不纳,攻破之杀乡绅王佐笞知县张宏基。是日即移兵出城,二十九戊午,建泰闻家被焚掠,为之夺气。兵过东光不戢,土民闭城拒守。建泰怒,留攻三日,破之。二月初九戊辰,御书亲敕建泰,b放R德通津昌密六处,悉听督辅调遣。三月初五癸巳,建泰病甚,兵溃。初十戊戌,宁武报至,畿辅震动。程源谓魏藻德曰:建泰为何尚住河间,其标下总兵马稔,有兵万人,令速赴居庸,与唐通协守,犹可以镇抚万一。不听。京师破,建泰入城,贼礼遇之。
闻贼急,建泰遁匿,未几降自成为相。大清朝立,建泰与谢升,冯铨,俱为内院大学士。及姜瓖起兵,又召建泰为相。瓖败,大清执之。建泰有妾五十人,逃归。语之曰:吾今必死。汝辈有一人肯从吾否。诸妾俱掩面而笑,窃相谓曰:汝固应死,吾等谓何。建泰寻被杀,其身长而黑胡髯。昔崇祯丙子,建泰主试江南,九日大宴雨花台,百官送之,建泰坐轿中叹曰:不觉又重阳矣。盖感日月之易迁,知其贪生之念重也。
上谕
十七丙午,谕兵部山东土寇出没,外解梗阻,抚按全无奏闻。着即扫荡以通饷道。又谕:寇患地方人心不固,闻警逃避,法纪荡然亟行赏罚,用示劝惩。如山西保德州,固守有功,已命破格叙擢,其倡逃者,不论。宗室官绅,立行拿问。
彭琯奏
十八丁未,工科彭琯奏。往者逆贼犯楚,实由人心惑于三年免征,一民不杀之伪示耳。又见抚臣李乾德,悬示免征,益复勇跃。倘皇上大下蠲诏,通行晓谕,更当何如。近传十六、十七年宽赦,何如宽之十八年,使贼灭后,犹有余力,并奇荒赤地通行酌免,使老幼捧檄泣下,非目前第一义乎?武昌破时,沿江积尸千里,州县收复,原任官戴罪不敢任事,必待选补。选补之臣,功名与性命较,则轻决不赴,任罪以规避而止。何益于地方之缓急。请查陷城各官,除开门迎先逃外,调补无官地方,以联络人心,似为切要。
马士英奏
十九戊申,凤督马士英奏太湖疏防失守,中书张同敞奏劫丰破窖,是兵非贼,命该部行檄督抚,即擒枭示。郧阳推官朱翊辨奏,周士奇以郧人监郧,弃城先遁,平阳镇臣陈尚知投贼为前驱。
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