卷二十·元旦文武乱朝班
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卷二十 崇祯十七年甲申
元旦文武乱朝班
京师文臣,俱寓西城,而朝班则列于东,武臣俱寓东城,而朝班则列于西。甲申元旦上视朝最早,止一大金吾立班。时钟声已绝,金吾启奏,群臣不闻钟鼓声,谓圣驾未出,来者益迟。令再鸣钟,启东西门,远近闻之,自皆疾驰,乃谕鸣钟,且勿歇,门永不闭,又久无至者,乃欲先谒太庙,后受朝呼,驾銮舆,盖驾舆马,与立仗马,约用百余时,又一无备,将长安门外朝官所乘马,悉驱入端门,将欲登辇,司礼又恐外马不驯,或多□啮,奏止之。又谕受朝而后拜庙,再登座以候文武官,从东西长安门入者,以天颜正视,竟不敢过中门,文则直入武班,从螭头下伛偻而入东班,武亦直入文班,从螭头下蹲俯而入西班。有新科榜眼宗之绳,父名劼者,以召对称旨,宠仕职方赞画,品最高洁,亦龟形而过于东班,受朝后,圣驾入庙,六品以下不应陪祭者,马以掠入而步回,总非兆也。不出百日,上手撞钟,百官无一至者,兆已见于此矣。独可异者,三月二十一日,百官朝贺李贼,拥挤争进,被棍扑逐,门久不启,露立以俟。吁!何前倨而后恭也,是可诛矣。
风变地震
正月初一庚寅,大风霾,震屋扬沙,咫尺不见。占曰:风从干起,主暴兵至城破。时凤阳守陵谷国珍奏报地震。
降乩
上以风震有忧色,沐浴焚香,拜天默祷曰:方今天下大乱,欲求真仙下降,直言朕之江山得失,不必隐秘。仙即降乩曰:帝问天下事,官贪吏要钱,八方七处乱,十爨九无烟。黎民苦中苦,乾坤颠倒颠。干戈从此起,休想太平年。上见诗,默然不悦。
大清朝改元(正月初一日)
建州定国,号曰大清,改元顺治。
李自成僭号
初三壬辰,李自成称王于西安,僭国号曰大顺,年号曰永昌,以宋献策为军师,牛金星为丞相,设六政府,各尚书一人,侍郎二人,左侍郎则皆随征。吏之宋企郊、户之杨建烈、兵之喻上猷、礼之巩、刑之陆之祺、工之李振声等,皆明臣之降附者。
是日,自成遣刘宗敏、李过等,率众二万为前锋,所过皆破,自成得报曰:可长驱矣。遂留文官并武将李友等数人,守西安。自率马步五十万,与诸将从禹门渡河,掠河东、河津、稷山、荥河、临晋,一路俱陷,垣曲知县递降表。一云,自成初二发兵,至十四癸丑过河,平阳州县尽逃,诸将皆遁。
自成移牒兵部约战,言三月十日至,兵部执牒者,则京师人,自涿州还,值逆旅孤客,予十金,代投兵部,以为诈,斩之。
李明睿议南迁(正月初三日)
上召左中允李明睿陛见。明睿,南昌人,以总宪李邦华、总督吕大器特荐,起田间。至是召对德正殿。上问御寇之策,明睿请屏左右密陈,趋进御案。言臣自蒙召以来,探听贼信颇恶,今且近逼畿甸,此诚危急存亡之秋,只有南迁一策,可缓目前之急。上曰:此事重,未可易言,以手指天,言上天未知如何。明睿曰:天命微密,当内断圣心,勿致噬脐之忧。上四顾无人云:此事我已久欲行,因无人赞襄,故迟至今。汝意与朕合,但外边不从奈何。此事重大,尔宜密之,切不可轻泄。泄则罪将坐汝。上还宫,赐宴文昭阁。及太原陷,明睿复疏劝,上深许之。下部速议,而兵科给事中光时亨首参为邪说,言不杀明睿,不足以安人心。上曰:光时亨阻朕南行,本应处斩,姑饶这遭。然而南迁之议寝矣。
曾应遴言拨乱之策
初四癸巳,工科曾应遴,言今之绅富,皆衣租食税,安坐而吸百姓之髓者,平日操奇赢以愚民,而独拥其利。临事欲贫民出气力以相护,无是理也。奏藩之富甲天下,贼破西安,府库不下千百万,悉以资贼。倘其平日少所取民,有事多发犒士,未必遂至于此。今之绅富,亦宜稍捐以赈贫,亦救民拨乱之策也。
福嗣王奏
初五甲午,福嗣王奏王宝实系无存,盖为世子时,自窃以献贼者。恤保定监军任栋死事,赠光禄卿。
议撤宁远
初六乙未,工科高翔汉言:自出口来数月,忽接辽抚黎玉田、永抚臣李希沆揭,称复有入塞情形。宁远逼近,不可示以单弱,而调兵南征,岂称异算。
时吏科都给事中吴麟征,请弃山海关外宁远、前屯二城,徒吴三桂入关,屯宿近郊,以卫京师。廷臣皆以弃地非策,不敢主其议。
自前后屯失守,宁远孤悬二百里外,三面皆绝域。守御极难,且寇氛日迫,三辅震恐,则撤兵归守关门,挑选锐士,西行遏寇,亦救乱之一策。阁臣持之不可,事竟寝。盖泥于前说而不知变也。按东陲戍兵,崇祯初年,经略臣有弃宁远守关门之策。是时方内安宁,无故弃边地,地失天险,是汉弃凉州之议也。故识者谓为非计。至末年寇躏中原,名都大藩,溃陷相望,而关外所存止于六城,缓急轻重,大异昔日,而庸臣胶柱之见,犹不知释疆埸之忧,救堂奥之急,卒至强寇压境,十六入关,二十抵丰润,而京师陷矣。悲夫。
曾应遴奏江右事
初七丙申,兵科曾应遴,言臣乡江右自桥头失守,而贼从永破吉,插岭兵破,而贼破萍及袁。吕大器祸急不能驾驭,左师臣早已言之。今江督更置之时,即合闽越之力,以虔镇副将郑鸿逵与芝龙为兄弟,缓急可不烦檄调。有云益王走闽中,建昌溃于十一月初二,抚州、南丰同陷于初七。并有言赣失守,而虔抚之报杳然莫必。诸臣真醉梦矣。
保定抚徐奏义衿陈延祚,破家养士,厚捐全城。
李自成陷平阳
初八丁酉,自成陷平阳,沿河州县,望风瓦解,皆置伪官,有防御使大尹等官。初九戊戌,山西逃兵南下,江北震恐,路振飞派兵防河,副将金声桓守徐,周任凤守泗,周尔敬守清口。
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