卷十九·袁州兵荒
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袁州兵荒
前载献忠陷袁州,从史之说也。乃袁州老僧则云:崇祯之季,张献忠围城驾云梯而上,守者以炮击之,折其梯,下座乃倒,贼始退。此一劫也。明年,献忠又至围之,亦不克复去。此二劫也。弘光元年春旱,本州一年二熟,时禾苗悉枯死,宜春为首县,邑令朱某,年才十九,征粮不息,百姓共携枯秧掷于庭,挈持朱令出诣田中亲视。且曰:禾已枯死,尚征粮耶?忿甚。朱令惭怒。时,良玉驻临江,朱与之善,密驰书告云:宜春已反,良玉即提兵,自分宜杀入,百姓犹未觉,大被屠戮。此三劫也。朱令复征,寻罢去。顺治四年丁亥大旱,城中绝粒四日,湖广米至,始得生。此四劫也。明年戊子大疫,此五劫也。经此五劫,民生凋敝,至今城中,止存千室。地多丘墟,有驿政道及兵千人镇守本州云。
当时兵赋杂沓,荒寇交至,民不聊生,内翰方以智不胜感悼,作田稼荒一词,以悲时事云。田稼荒,农夫亡,老幼走者死道傍。走入他乡亦饿死,朝廷加派犹不止。壮者昼伏夜行归,归看鸡犬人家非。贼去尚余一茅屋,官军又来烧不足。此实事也。可为三叹。以智,字密之,桐城人,崇祯庚辰进士。大清至,祝发居江西庐山开光寺。
南昌猛虎
南昌府西门外抚州街,长亘十里,百货汇集。癸未几月中,一人闻厅中有声,启视,见一虎蹲于台下,以尾击台,台为之裂。其人大惊,急掩门而出,呼众执械围聚,将后屏门敲击叫喊,虎跃于屋,众号呼唤闹,声沸如雷。虎于屋上东西徐步,殊不畏人。口惟哈哈有声,无敢犯者。有一健卒前,撄臂被介而堕,更有一人私计,须用铅弹充打,时无此具,其人杂于俦众中,虎忽从屋巅跃下,噙其人于旷野,咬为两截。众因虎在地,各逞枝棍,遂立毙焉。后戊子岁,金王兵起,抚州焚毁,片瓦不存,火盖起于虎蹲之厅也。
左良玉复武昌等处
癸未八月,上命江凤黔粤各督,及郧皖江沆各抚,令兵剿贼。方献忠壬午之破武昌也,左良玉避其锋,拥兵九江不敢逼。及献既入蜀,良玉略定武昌、澧陵、长沙、湘潭、湘阴,并湖南一带。又复岳州、监利、石首、上安、德安、随州等处。十一月诏太监何志孔劳良玉军,以恢楚有功。加良玉少师,荫一子,吏士各升秩,大赉各军。诏良玉移镇武昌。良玉令马士秀等,复临湘、岳州;令马进忠等,复袁州、尽诛诸伪官。
贼来我去,贼去我来。犹如白日鼠,见人辄避,夜间乘人睡梦,复出盗米。良玉为将,何以异此。而乃加官荫子,能不愧乎?然伪官尽诛,稍泄积忿。
刘承允复衡、沙
刘承允,南京人,黎靖参将,加副总衔年四十余,力能使八十筋铁棍,故绰号刘铁棍。黔阳至靖州一带,以迄苗子,俱慕其德威,士民之家,俱书恩主刘总爷牌位,供奉之者,无一户不然。献忠南侵,被刘杀贼,衡沙一路,次第克复,皆刘力也。
此据新纪所载,承允可云名将矣。惜乎末路之恣也,以知名将善保功名为难。
吕大器复江西郡县
癸未秋季,总督吕大器复袁州、萍乡、万载、吉安、庐陵、吉水、永新、太和、安福等处。大器沈毅知兵,方入援时,路过峡江,城门四闭,闻是官兵,反行遮杀。吕以八王兵到,开门出迎,手持县印,口称千岁,备有大马三十五匹,粮草无数,新旧知县俱已拿下,听候发落,大器立取奸民枭示之,次第恢复。
胡公平三县土寇
公讳时亨,号慎三,无锡人,予之舅氏也。崇祯丁丑礼闱第四人,授江西南昌司李。先是戊寅秋,贼张普微作乱于抚州、新建、广昌等处,抚臣解学龙、按臣邢绍德主剿,姜公监军,公设计擒斩首从百余,贼遂解散。及壬午冬,李肃七、李肃十因捕役入乡,诈害良民,为之不平,乃扑杀之,恐被逮,遂纠柯源峒陈友谅遗孽反。越两日,有诸生余士藻,本辽产,善骑射,工火药,里有贫子,每日外出,炊饭辄失,心疑怜人所窃,一日隔河阴伺,见白犬入户,返逐之,犬趋灶下,忽不见,掘之,得兵书宝剑,士藻遂以是造神语惑众,建将台高五丈,观星望气,为三寨总主。自号靖海天王。二李虽勇,皆出其下。又与其党李东阳、慈林、刘心一、胡地十、柏梅、余木十、李严二、李成、郑孔一、张华九等,伪立十二天王,十八罗汉、二十四天罡、三十六地煞等号。啸聚数千,俱戴红巾,盘踞靖安、奉新、安义三县。焚杀淫掠,殆无虚日。癸未正月,抚臣张凤翮发兵六千,檄兵备陈起龙监军。二月二十二日进师,贼大至,将士多殁于阵。后起龙力不支,将印送公而去。四月,公密约南康同知金孔器,设伏进攻,兵气始振。贼素服公威德。十八日贻书云:胡刑爷,爱民如子,真是公祖父母,倘如广陵守之单骑入寨,郭子仪之至诚感敌,众愿投戈迎候。二十八日,群贼集樟树河地,公单骑往,贼即竖归命安农旗,顶香罗拜,公给免死牌千纸,众谢而退。诸生舒春阳、余鼎调等,与吴胜八同里,李东阳以胜八勇猛,娶其妹以结之。公令余生潜间胜八,立功自赎。胜八于午节乘龙舟,醉后斩贼矮虎等。五月十日缚东阳来献,靖安营将欲袭为己功,忽于中途杀之,东阳逸去。于是再议会剿。十六日出师,公督阵三县犄角,焚寨十余所,斩首百余级,夺回子女军器无算,兵威大振,乃参将袁斌独欲见勇,乘醉轻进,贼伏发,马惊坠毙,兵气复挫。二十日贼逼靖城,公启门督师,先令武宁营张献政设伏,照贼用白纸扇一招,发伏射死李东阳。又与都司何其贤等,同诸将二十人,统兵五千及乡勇三千出师于奉新之石子冈,靖安之解家桥与安义之桐城等处,腹背夹击,于是贼渠闵歌一等俱降。李肃七见事败,将遁,公知胡地十以十二天王之一,甚骁勇,招之至,劳之以酒,使擒肃七。复遣勇士数人从之,伏山谷间酣饮,肃七乘花马自奉新出走,猝见胡地十等聚饮,即下马谓之曰:尔辈伏此,非为吾耶?然吾亦好男子,岂待汝擒哉?因与众同饮尽酣,遂解两臂银镯数十股,又腰下猫儿眼诸宝与众曰:各分取之,诸公得吾首,可以献功。吾请自刎。语毕,遂拔刀自刎。众割其首级以还。其首大尺有二寸。六月四日,设计擒余士藻槛车解省。至十三日,贼党尽斩其渠来献,余众悉降。凡投诚者,感公不杀之恩,俱改胡姓,愿事左右。公收其勇猛三十人,余遣归农,悉洒泪而退。
沈万登复汝宁
癸未五月,河南所在,擒斩伪官。及十月初一辛酉,副总兵沈万登,复汝宁。万登,汝宁大侠也,聚乡勇万余人,李自成伪授威武大将军,不受,凤督马士英承制授万登副总兵。是月官兵进剿汝宁一路,伪官土寇俱尽,河南稍宁。时以自成方入潼关故也。
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