卷十三·诸将死难
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是年贼寇安庆,我兵败走,诸将死事者,程龙陈、于王以外不一:如把总詹鹏冲锋陷阵,闻兵溃以首蠲石而死;把总王希韩,素廉勇得众,及力尽,犹率部下拔营血战而死;把总王猷力能扛鼎,杀贼数多为贼众合围生擒,脔分其肉而死;守备王宏猷势窘被执,贼喜其技勇将留之,宏猷不屈,大骂,至于锯齿断足犹不绝声而死;守备莫显骅,新得武科,不愿会试,自请讨贼,陷阵而死;把总唐世龙,因事已去,不肯独归离险,鏖战马蹶,被砍而死;千总王定远,经革戍皖,累报获功,而一目不视,虚掷前劳以死;千总周嘉,方一月新婚,慷慨请缨,力战阵亡。而少妇王氏,善哭其夫,卒绝粒投缳以死。其他若张全斌、俞文夔、顾应宗、蒋达潘象谦、季靖,俱先后同事死。
流寇发难以来,武臣逃遁者固多而死事者亦不少。然其名或着或不著者,士固有幸有不幸也。
贼陷六合
六合虽斗大邑,乃金陵门户也。素无城,崇祯九年巡抚张国维以流寇孔棘,使邑令郑同元筑城。同元以财力不逮,止建土城一座。明年丁丑,国维出巡,见而责之,发金办造砖城,尚未兴役,而贼已至矣。初贼陷庐、凤等处,虽窟居英霍,睥睨六合已久。同元本浙人,素无干略,谓贼尚在数百里外,不设备。游击常某,蜀人,武艺超轶,镇守本邑,然麾下仅七百人耳。时有永生洲兵,与之不协,终日相讧,同元不为解纷,国维闻之,贼未至数日,以令箭提永生洲兵,故其守志益懈。浙江御史某,将北上,以滁州贼阻,还与同元言贼势甚炽,宜备之。同元犹大言,敝邑兵多、将勇,何忧贼乎?御史走间道由扬州去。及风鹤益甚,同元犹出谕张大将士之盛,令百姓勿动。然亦疑信相半,侦骑四出,查无踪迹。至七月十七日,诸商微闻贼信急,密备糇粮,篝灯不寐,夜半探望见将士率兵林立,啧啧偶语,忽睹诸商民,呼而问故。众合曰:闻流贼将至耳。一把总慰之云,此讹言也。且有我兵在,若等归寝勿忧。然识者终不之信,假寐以俟。十八日黎明,忽炮声连震,众大惊,贼骑由西门突至。时永生洲兵,以张抚、曾提,俱无战志,此将冶甫桥焚所阻贼不过河而已。独常游击率众数百往御,中道遁走已半,甫及西门,而贼之骁骑已至。常严阵拒之,贼不得入。忽大声曰:从东门去罢。常闻之,令后队分兵往守。贼见阵动,前锋十七骑,突前,后兵先溃,常知势不可支,遂大呼曰:保不得矣,百姓速走。予保南门耳。且战且却,贼骑稍西,民得奔趋桥南。及常退至浮桥,贼亦随至。兵悉南渡,常独殿后,从者仅五人而已。贼直逼桥次,常右手提鞭御贼,左手拔桥,一骁骑驰至,持刀砍常。常急避马下,举鞭扑杀之。群贼大至,拥马堕河,飞矢如猬,常挥鞭厥声铮铮然,纷纷雨下。盖龙津浮桥延袤十余丈,用板平铺,而属以铁索者。时桥板虽拔断,铁索犹系,常以佩刀截之,贼乃不得渡。然倏忽间一矢中股,又一矢洞项矣。浮桥既断,兵与贼距河相詈,遥望骁贼立马上疾驰,虽楼垣高峻,一跃辄登,入内恣掠,有服红袍者坐与中,役贫民运取百物,见富室则取人油浸帚,爇而烛之,遇有藏金,则火辄灭。又以水沃寝室,速燥者,其下有金,以土浮耳。其取无遗策。如此凡掠二日而去。先是,贼去六合甚远,侦骑不遇而返,皆云无贼。及是充斥于道,不知者犹启户问贼所在,被杀甚众。盖贼杀人,以豆实其腹,与马食之,马大肥捷,一昼夜行三百里,如欲破远城,则近城过而不攻,及远城既破,始旋兵以取近城。盖远者谓近贼之城尚未报破,必不越之而来,往往不为备。近者又谓贼众已过,可不严守,所以贼每乘人不意,而两取之,计亦狡矣。当时非常之力战不独居桥北者尽罹锋镝,即走桥南者亦必供贼之蹂躏矣。常亦大有造于棠邑也哉!厥后行至芜湖,箭疮迸发而死。惜夫!郑同元闻贼至,箭衣小帽从役五人骑而逸去。后以失地事诿罪于永生杀之。同元止罢官而已。先叔君衡公时在六合,亲遇其难,述此。
六合为应天属邑,使当事者知贼势日盛,豫筑坚城,以二千人守之,亦不致于败,乃既无城矣,复不多驻兵徒,以数百人当十倍之贼,是明以人民委贼也。至愚劣之同元,贼未至,则不思筑城,及和两军,贼既至则微服先去,乃犹诿罪逃死,朝廷之三尺安在。然贼陷六合,他书俱不之载,意留都大臣以贼犯畿邑,不便于己,或未尝实以上闻也。予思天下以贼情蒙蔽者多矣,可谓三叹(六月十八笔)。
六合既陷,被杀颇多,道上白昼鬼号,众惧,厉声震喝,终不止。惟大呼曰:流贼至矣,辄无声。又小儿夜啼,父母惧之曰:勿啼,流贼来矣。儿亦止。然则流寇之祸,不独人畏之,鬼亦畏之。不独老者、壮者畏之,即小儿亦畏之矣。亦异也。此二事,皆自六合而来述之。
志异
丁丑闰四月初十戊申,山西汾州府武乡、沁源二县,大雨雹,大者如象,次如牛,是年大旱。
七月,贼破六合,八月后每日日落时,红光从东南脚下,映照半天如火,对照人面尽赤,约三月余。时省臣引京房传,谓之日空,应兵起。齐鲁吴越占候家,谓之血霞,则大旱、大兵之明征也。
是岁,浦口西北山中有人头鸟万余,皆在伏龙山一带,身足如鹤,头缩而不伸,胸前有元文一道如人面。
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