志·卷三十二
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◎刑法志下
兴宗即位,钦哀皇后始得志,昆弟专权。冯家奴等希钦哀意,诬萧浞卜等谋反,连及嫡后仁德皇后。浞卜等十馀人与仁德姻援,坐罪者四十余辈皆被大辟,仍籍其家。幽仁德于上京,既而遣人弑之。迫殒非命,中外切愤。钦哀后谋废立,迁于庆州。及奉迎以归,颇复预事,其酷虐不得逞矣。然兴宗好名,喜变更,又溺浮屠法,务行小惠,数降赦宥,释死囚甚众。
重熙元年,诏职事官公罪听赎,私罪各从本法;子弟及家人受赇,不知情者,止坐犯人。先是,南京三司销钱作器皿三斤,持钱出南京十贯,及盗遗火家物五贯者处死;至是,铜逾三斤,持钱及所盗物二十贯以上处死。二年,有司奏:“元年诏曰,犯重罪徒终身者,加以捶楚,而又黥面。是犯一罪而具三刑,宜免黥。其职事官及宰相、节度使世选之家子孙,犯奸罪至徒者,未审黥否?”上谕曰:“犯罪而悔过自新者,亦有可用之人,一黥其面,终身为辱,朕甚悯焉。”后犯终身徒者,止刺颈。奴婢犯逃,若盗其主物,主无得擅黥其面,刺臂及颈者听。犯窃盗者,初刺右臂,再刺左,三刺颈之后,四刺左,至于五则处死。五年,《新定条制》成,诏有司凡朝日执之,仍颁行诸道。盖纂修太祖以来法令,参以古制。其刑有死、流、杖及三等之徒而五,凡五百四十七条。
时有群牧人窃易官印以马与人者,法当死,帝曰:“一马杀二人,不亦甚乎?”减死论。又有兄弟犯强盗当死,以弟从兄,且俱无子,特原其弟。至于枉法受赇,诈敕走递,伪学御书,盗外国贡物者,例皆免死。郡王贴不家奴弥里吉告其主言涉怨望,鞫之无验,当反坐,以钦哀皇后里言,竟不加罪,亦不断付其主,仅籍没焉。宁远军节度使萧白强掠乌古敌烈都详稳敌鲁之女为妻,亦以后言免死,杖而夺其官。梅里狗丹使酒杀人而逃,会永寿节出首,特赦其罪。皇妹秦国公主生日,帝幸其第,伶人张隋,本宋所遣谍者,大臣觉之以闻。召诘,款伏,乃遽释之。后诏诸职官私取官物者,以正盗论。诸帐郎君等于禁地射鹿,决杖三百,不徵偿;小将军决二百已下;至百姓犯者决三百。圣宗之风替矣。
道宗清宁元年,诏诸宫都部署曰:“凡有机密事,即可面奏;馀所诉事,以法施行,有投诽讪之书,其受及读者皆弃市。”二年,命诸郡长吏如诸部例,与僚属同决罪囚,无致枉死狱中。下诏曰:“先时诸路死刑皆待决于朝,故狱讼留滞;自今凡强盗得实者,听即决之。”四年,复诏左夷离毕曰:“比诏外路死刑,听所在官司即决。然恐未能悉其情,或有枉者。自今虽已款伏,仍令附近官司覆问,无冤然后决之,有冤者即具以闻。”咸雍元年,诏狱囚无家者,给以粮。六年,帝以契丹、汉人风俗不同,国法不可异施,于是命惕隐苏、枢密使乙辛等更定《条制》。凡合于《律令》者,具载之;其不合者,别存之。时校定官即重熙旧制,更窃盗赃二十五贯处死一条,增至五十贯处死;又删其重复者二条,为五百四十五条;取《律》一百七十三条,又创增七十一条,凡七百八十九条,增重编者至千余条。皆分类列。以大康间所定,复以《律》及《条例》参校,续增三十六条。其后因事续校,至大安三年止,又增六十七条。条约既繁,典者不能遍习,愚民莫知所避,犯法者众,吏得因缘为奸。故五年诏曰:“法者所以示民信而致国治,简易如天地,不忒如四时,使民可避而不可犯。此命有司纂修刑法,然不能明体朕意,多作条目,以罔民于罪,朕甚不取。自今复用旧法,余悉除之。”然自大康元年,北院枢密使耶律乙辛等用事,宫婢单登等诬告宣懿皇后,乙辛以闻,即诏乙辛劾状,因实其事。上怒,族伶人赵惟一,斩高长命,皆籍其家,仍赐皇后自尽。三年,乙辛又与其党谋构昭怀太子,阴令右护卫太保耶律查剌,告知枢密院事萧速撒等八人谋立皇太子。诏按无状,出速撒、达不也外补,流护卫撒拨等六人。诏告首谋逆者,重加官赏;否则悉行诛戮。乙辛教牌印郎君萧讹都斡自首“臣尝预速撒等谋”,因籍姓名以告。帝信之,以乙辛等鞫按,至杖皇太子,囚之宫中别室,杀挞不也、撒剌等三十五人,又杀速撒等诸子;其幼稚及妇女、奴婢、家产,皆籍没之,或分赐群臣。燕哥等诈为太子变书以闻,上大怒,废太子,徙上京,乙辛寻遣人弑于囚所。帝犹不寤,朝廷上下,无复纪律。天祚乾统元年,凡大康三年预乙辛所害者悉复官爵,籍没者出之,流放者还乡里。至二年,始废乙辛等墓,剖棺戮尸,诛其子孙,余党子孙减死,徙边,其家属奴婢皆分赐被害之家。如耶律挞不也、萧达鲁古等,党人之尤凶狡者,皆以赂免。至于覆军失城者,第免官而已。行军将军耶律涅里三人有禁地射鹿之罪,皆弃市。其职官诸局人有过者,镌降决断之外,悉从军。赏罚无章,怨讟日起;剧盗相挺,叛亡接踵。天祚大恐,益务绳以严酷,由是投崖、炮掷、钉割、脔杀之刑复兴焉。或有分户五京,甚者至取其心以献祖庙。虽由天祚救患无策,流为残忍,亦由祖宗有以启之也。
辽之先代,用法尚严。使其子孙皆有君人之量,知所自择,犹非祖宗贻谋之道;不幸一有昏暴者,少引以藉口,何所不至。然辽之季世,与其先代用刑同,而兴亡异者何欤?盖创业之君,施之于法未定之前,民犹未敢测也;亡国之主,施之于法既定之后,民复何所赖焉。此其所为异也。传曰:“新国轻典。”岂独权事宜而已乎?天祚未年,游畋无度,颇有倦勤意。诸子惟文妃所生敖卢斡最贤。萧奉先乃元妃兄,深忌之。会文妃之女兄适耶律挞曷里,女弟适耶律余睹,奉先乃诬告余睹等谋立晋王,尊天祚为太上皇。遂戮挞曷里及其妻,赐文妃自尽。敖卢斡以不与谋得免。及天祚西狩奉圣州,又以耶律撒八等欲劫立敖卢斡,遂诛撒八,尽其党与。敖卢斡以有人望,即日赐死。当时从行百官、诸局承应人及军士闻者,皆流涕。盖自兴宗时,遽起大狱,仁德皇后戕于幽所,辽政始衰。道宗杀宣懿皇后,迁昭怀太子,太子寻被害。天祚知其父之冤,而己亦几殆,至是又自杀其子敖卢斡。《传》曰:“于所厚者薄,无所不薄矣。”辽二百余年,骨肉屡相残灭。天祚荒暴尤甚,遂至于亡,噫!
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