志·卷三十一
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◎刑法志上
刑也者,始於兵而终于礼者也。鸿荒之代,生民有兵,如逢有螫,自卫而已。蚩尤惟始作乱,斯民鸱义,奸宄并作,刑之用岂能已乎?帝尧清问下民,乃命三后恤功于民,伯夷降典,折民惟刑,故曰刑也者,始于兵而终于礼者也。先王顺天地四时以建六卿。秋,刑官也,象时之成物焉。秋传气于夏,变色于春,推可知也。辽以用武立国,禁暴戢奸,莫先于刑。国初制法,有出于五服、三就之外者,兵之势方张,礼之用未遑也。及阻午可汗知宗室雅里之贤,命为夷离堇以掌刑辟,岂非士师之官,非贤者不可为乎?太祖、太宗经理疆土,擐甲之士岁无宁居,威克厥爱,理势然也。子孙相继,其法互有轻重;中间能审权宜,终之以礼者,惟景、圣二宗为优耳。
然其制刑之凡有四:曰死,曰流,曰徒,曰杖。死刑有绞、斩、凌迟之属,又有籍没之法。流刑量罪轻重,置之边城部族之地,远则投诸境外,又远则罚使绝域。徒刑一曰终身,二曰五年,三曰一年半;终身者决五百,其次递减百;又有黥刺之法。仗刑自五十至三百,凡杖五十以上者,以沙袋决之;又有木剑、大棒、铁骨朵之法。木剑、大棒之数三,自十五至三十,铁骨朵之数,或五、或七。有重罪者,将决以沙袋,先于脽骨之上及四周击之。拷讯之具,有粗、细杖及鞭、烙法。粗杖之数二十;细杖之数三,自三十至于六十。鞭、烙之数,凡烙三十者鞭三百,烙五十者鞭五百。被告诸事应伏而不服者,以此讯之。品官公事误犯,民年七十以上、十五以下犯罪者,听以赎论。赎铜之数,杖一百者,输钱千。亦有八议、八纵之法。籍没之法,始自太祖为挞马狘沙里时,奉痕德堇可汗命,按于越释鲁遇害事,以其首恶家属没入瓦里。及淳钦皇后时析出,以为著帐郎君,至世宗诏免之。其后内外戚属及世官之家,犯反逆等罪,复没入焉;余人则没为著帐户;其没入宫分、分赐臣下者亦有之。木剑、大棒者,太宗时制。木剑面平背隆,大臣犯重罪,欲宽宥则击之。沙袋者,穆宗时制,其制用熟皮合缝之,长六寸,广二寸,柄一尺许。徒刑之数详于重熙制,杖刑以下之数详于咸雍制;其余非常用而无定式者,不可殚纪。
太祖初年,庶事草创,犯罪者量轻重决之。其后治诸弟逆党,权宜立法。亲王从逆,不罄诸甸人,或投高崖杀之;淫乱不轨者,五车轘杀之;逆父母者视此;讪詈犯上者,以熟铁锥摏其口杀之。从坐者,量罪轻重杖决。杖有二:大者重钱五百,小者三百。又为枭磔、生瘗、射鬼箭、炮掷、支解之刑。归于重法,闲民使不为变耳。岁癸酉,下诏曰:“朕自北征以来,四方狱讼,积滞颇多。今休战息民,群臣其副朕意,详决之,无或冤枉。”乃命北府宰相萧敌鲁等分道疏决。有辽钦恤之意,昉见于此。神册六年,克定诸夷,上谓侍臣曰:“凡国家庶务,巨细各殊,若宪度不明,则何以为治,群下亦何由知禁。”乃诏大臣定治契丹及诸夷之法,汉人则断以《律令》,仍置钟院以达民冤。
至太宗时,治渤海人一依汉法,余无改焉。会同四年,皇族舍利郎君谋毒通事解里等,已中者二人,命重杖之,及其妻流于厥拔离弭河,族造药者。世宗天禄二年,天德、萧翰、刘哥及其弟盆都等谋反,天德伏诛,杖翰,流刘哥,遣盆都使辖戛斯国。夫四人之罪均而刑异,辽之世,同罪异论者盖多。穆宗应历十二年,国舅帐郎君萧延之奴海里强陵拽剌秃里年未及之女,以法无文,加之宫刑,仍付秃里以为奴。因著为令。十六年,谕有司:“自先朝行幸顿次,必高立标识以禁行者。比闻楚古辈,故低置其标深草中,利人误入,因之取财。自今有复然者,以死论。”然帝嗜酒及猎,不恤政事,五坊、掌兽、近侍、奉膳、掌酒人等以獐鹿、野豕、鹘雉之属亡失伤毙,及私归逃亡,在告逾期,召不时至,或以奏对少不如意,或以饮食细故,或因犯者迁怒无辜,辄加炮烙铁梳之刑。甚者至于无算。或以手刃刺之,斩击射燎,断手足,烂肩股,折腰胫,划口碎齿,弃尸于野。且命筑封于其地,死者至百有余人。京师置百尺牢以处系囚。盖其即位未久,惑女巫肖古之言,取人胆合延年药,故杀人颇众。后悟其诈,以鸣镝丛射、骑践杀之。及海里之死,为长夜之饮,五坊、掌兽人等及左右给事诛戮者,相继不绝。虽尝悔其因怒滥刑,谕大臣切谏,在廷畏懦,鲜能匡救,虽谏又不能听。当其将杀寿哥、念古,殿前都点检耶律夷腊葛谏曰:“寿哥等毙所掌雉,畏罪而亡,法不应死。”帝怒,斩寿哥等支解之。命有司尽取鹿人之在系者凡六十五人,斩所犯重者四十四人,余悉痛杖之。中有欲置死者,赖王子必摄等谏得免。已而怒颇德饲鹿不时,致伤而毙,遂杀之。季年,暴虐益甚,尝谓太尉化葛曰:“朕醉中有处决不当者,醒当覆奏。”徒能言之,竟无悛意,故及于难。虽云虐止亵御,上不及大臣,下不及百姓,然刑法之制,岂人主快情纵意之具邪!景宗在潜,已鉴其失。及即位,以宿卫失职,斩殿前都点检耶律夷腊葛。赵王喜隐自囚所擅去械锁,求见自辩,语之曰:“枉直未分,焉有出狱自辩之理?”命复絷之。既而躬录囚徒,尽召而释之。保宁三年,以穆宗废钟院,穷民有冤者无所诉,故诏复之,仍命铸钟,纪诏其上,道所以废置之意。吴王稍为奴所告,有司请鞫,帝曰:“朕知其诬,若按问,恐馀人效之。”命斩以徇。五年,近侍实鲁里误触神纛,法应死,杖而释之。庶几宽猛相济。然缓于讨贼,应历逆党至是始获而诛焉,议者以此少之。圣宗冲年嗣位,睿智皇后称制,留心听断,尝劝帝宜宽法律。帝壮,益习国事,锐意于治。当时更定法令凡十数事,多合人心,其用刑又能详慎。先是,契丹及汉人相殴致死,其法轻重不均,至是一等科之。统和十二年,诏契丹人犯十恶,亦断以《律》。旧法,死囚尸市三日,至是一宿即听收瘗。二十四年,诏主非犯谋反大逆及流死罪者,其奴婢无得告首;若奴婢犯罪至死,听送有司,其主无得擅杀。二十九年,以旧法,宰相、节度世选之家子孙犯罪,徒杖如齐民,惟免黥面,诏自今但犯罪当黥,即准法同科。开泰八年,以窃盗赃满十贯,为首者处死,其法太重,故增至二十五贯,其首处死,从者决流。尝敕诸处刑狱有冤,不能申雪者,听诣御史台陈诉,委官覆问。往时大理寺狱讼,凡关覆奏者,以翰林学士、给事中、政事舍人详决,至是始置少卿及正主之。犹虑其未尽,而亲为录囚。数遣使诣诸道审决冤滞,如邢抱朴之属,所至,人自以为无冤。五院部民有自坏铠甲者,其长佛奴杖杀之,上怒其用法太峻,诏夺官。吏以故不敢酷。挞剌干乃方十因醉言宫掖事,法当死,特贳其罪。五院部民偶遗火。延及木叶山兆域,亦当死,杖而释之,因著为法。至于敌八哥始窃蓟州王令谦家财,及觉,以刃刺令谦,幸不死。有司拟以盗论,止加杖罪。又那母古犯窃盗者十有三次,皆以情不可恕,论弃市。因诏自今三犯窃盗者,黥额、徒三年;四则黥面、徒五年;至于五则处死。若是者,重轻适宜,足以示训。近侍刘哥、乌古斯尝从齐王妻而逃,以赦,后会千龄节出首,乃诏诸近侍、护卫集视而腰斩之。于是国无幸民,纲纪修举,吏多奉职,人重犯法。故统和中,南京及易、平二州以狱空闻。至开泰五年,诸道皆狱空,有刑措之凤焉。
故事,枢密使非国家重务,未尝亲决,凡狱讼惟夷离毕主之。及萧合卓、萧朴相继为枢密使,专尚吏才,始自听讼。时人转相效习,以狡智相高,风俗自此衰矣。故太平六年下诏曰:“朕以国家有契丹、汉人,故以南、北二院分治之,盖欲去贪枉,除烦扰也;若贵贱异法,则怨必生。夫小民犯罪,必不能动有司以达于朝,惟内族、外戚多恃恩行贿,以图苟免,如是则法废矣。自今贵戚以事被告,不以事之大小,并令所在官司按问,具申北、南院覆问得实以闻;其不按辄申,及受请托为奏言者,以本犯人罪罪之。”七年,诏中外大臣曰:“《制》中有遗阙及轻重失中者,其条上之,议增改焉。”
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